ディリー?闇鍋アラカルト
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2005年05月28日(土) 望み・・・4/DNA

望みというシリーズで書いているけれど、望みの根本について書いていなかったと思う。
望みの最も深い部分、それをを構成するのはDNAに存在する。
私たちは生まれる前から望みを持っていたと言える。
母親たちはおなかの中にいる胎児が動いたり蹴ったりする様子で胎児にも感情があるのに気付く。胎児が語る訳ではないが、モーツアルトは好きだがバルトークは嫌いであると感じたりする。それで、胎児の望みと思われるモーツアルトのCDを買ったりする。母親のおなかの中で胎児は成長している。成長そのものも望みの一つの表われだし、その為に必要なものを取り入れ不要なものを排出するという作業も体はしている。それに母親の体も同調している。生きたい成長したいと言う望みは生まれる前から存在している。ではその始まりはいつか?それは個人のDNAが決定する前から存在している。個人のDNAの半分を持つ母親の卵子と父親の精子は互いに求め合っていた。お互い希望する存在であり、行き続けたい成長したいという望みも含まれている。
生き続けたい成長したいという望みは生まれる前にまで遡れ、両親やその両親はもとより、ずうっと遠い祖先である生命の始原である原初生命体にまで行き着くのだろう。
意識しにくい望みというものがある。気づきにくい望み、失われて初めて気付く望み・・・それもまた生き続けたい、生存して居たいという事と関わっている事が多い。健康の有難味は失って初めて分かるとか・・・健康に生き続けたいという望みは大抵の人が持っているはずだが意識される事は少ない。おいしい水・おいしい空気などもそうだ。水や空気がまずいとか信頼出来ないとかであるなら、生き続ける事は困難になる。
信頼出来る人間関係もそうだ。ほっと出来る場所、生き甲斐を感じられる仕事なども望みと言えるだろう。これらはあらかじめ定められているものではないけれど、それらを得られない・感じられないならばどこか落ち着きを失うようであったり、殺伐とした状態になったりする。これらは、あらかじめDNAによって全て決定されているものではないけれど、それらを満たす方向へDNAは導いているとも考えられる。
農家の倅が百姓を嫌って都会に出たものの、ノルマノルマの営業の仕事に疲れてしまった時にコンクリートの割れ目に咲くタンポポの花を見る。それから彼は園芸屋に行って鉢植えを買い求める。鉢植えは次第に増えて行き、数年後、彼は農場で働く事に喜びを覚えていた・・・などというのはDNAが導いたとは言えないだろうか。


いなっち |MAILHomePage

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