ディリー?闇鍋アラカルト
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2005年05月25日(水) 望み・・・2

望み・・・1で文通をしていた事について書いた。その時期既にバンドマンとして仕事をしていた。
合格していた劇団のテストでは有ったけど、金がかかりそうで辞めた。バンドマンになろうと思ったのは、音楽が好きだった事と、表現する事をしたかったからだ。酒場バンドマンだけれど、バンドマンでいれば練習も出来る。金も貰える。
偶然飲みに行った酒場で、出演していたバンドマンと話したら、ヴォーカルを募集している所があると言う。そこで面接を受けたら、歌だけでは弱いので楽器もやらないとだめだと言うので、兄からフルートを借りて、6ヶ月練習してバンドマンになってしまった。ヘタクソなバンドマンでは有った。僕は吹奏楽部で金管楽器の腕前は高校生としては優秀な部類では有ったが、木管楽器をこれから練習して一流になれると思っていたわけではない。それよりも、練習さして貰えて金まで呉れるのが気に入ったのだし、労働時間が短いのも気に入った。酒場音楽はやりたい音楽とは言えなくても、音を出すだけでも指を動かすだけでも練習にはなる。そして、キャバレーのボーイの半分ほどでしかなかったが、給料だって貰えるのだ!
このサイトを訪れた人は筆者である僕の多方面に渡る知識に驚かされるかも知れない。それは、多くの人が大学を卒業してサラリーマンになると(或いは他の仕事でも)8時間労働残業2時間というのが当たり前になってしまうのに、僕は短い労働時間で自分の為の時間が持てたからという状況を選んだというのがあるからと言える。バンドの休憩時間に練習をし、本を読み、手紙を書いた。アパートには鉢植えがあったし山にも行った。やりたい事は幾らでもあった。
僕は仕事に自分の望みを反映させる事はあまり出来なかったけれど、自分のやりたい事がある程度出来るくらいの状況は手に入れる事が出来たのだった。こういう形で望みの幾らかは実現出来たとも言えるだろう。
その後バンドマンからピアノ弾き語りに転向し、収入は並みのサラリーマン程度にはなり、本を買うのにもさほど不自由を感じなくなった。
フリースクール研究会に入ったり、ブーメランにも取り組んだ。
また、バンドマン時代、低収入で、どのように生きるかという工夫、つまり、食生活を切り詰め、それでいて病気にならずにやりたい事をやる為に必要な知識と実践が、現在のこのサイトの健康情報にも反映されている。


いなっち |MAILHomePage

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