rioshimanの日記
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2006年04月21日(金) 上野で公募展鑑賞

友人からもらった示現会展、光風会展のチケットを持って東京都美術館に出かける。春と秋には公募展が目白押しで2週間ごとに上野に足を運んでいるが、来年からは大半の公募展が新しく六本木に出来た国立新美術館へ引っ越すことになっている。

4月の上野公園は修学旅行生でいっぱいだ。目に飛び込んで来る光は新緑と共に初々しい。私にも昔このような光景にいたんだなぁと思い出が一瞬頭をよぎる。その時から今まで何度この道に足を運んだことだろう。

この日は展覧会最終日で展示は午後2時まで。11時頃に示現会の方から先に会場に入る。いつもは日展などの作品わんさの展覧会を見て足もくたびれるのだが、廻るにはこれぐらいの作品数が程よい。この団体については以前には知らなかったのだが、友人が出品するようになってからホームページなども見て興味深く知識を持つようになった。
美術団体の多くが近年ホームページを持つようになり、その中に沢山の絵画作品が掲載されていて眺めるのがとても楽しい。インターネットが出来るまでは画家たちの作品を見る手段はとても限られていたので今は雲泥の差だ。

四国の辺地で育った私が初めて油絵というものを意識して見たのは高校に通うために田舎から地方都市に出て来た時、確か歯医者さんに行った際、壁に掛かっていたのをたまたま見たというのが実情だ。それまでの絵画環境は学校の図画工作授業で片手間に描かされていた不透明水彩絵具でのお絵描きぐらいで何とつまらない作業だろうと思い、絵とは恐らくこんなものでないだろうと子供ながらにも感じていた。校長先生を入れて小中校合わせて10名ぐらいの先生で全授業を教えていた村の学校には当然美術専攻の先生などいる訳がなく、確か数学の先生が片手間に絵を教えていたように思う。音楽授業のためにピアノの弾ける先生を一人村に連れてくるのがやっとだった。放課後、学校の鈍い音の出る鍵盤付きオンボロピアノを、授業で義務的に教えている小学校の先生が音楽室で練習していないのを見計らってピアノを待ちかねたように忍び込んで練習するのが最大の喜びだった。むさぼりつくように教則本というものを買って来て自己流ではあったが小学校のバイエル、ブルグミューラから5,6冊、中学校を卒業する頃にはチェルニー30番に取り組んでいた。本格的な音楽環境に出会うのはずっと後になってからである。

ヴァイオリンという楽器に初めてお目にかかったのは20歳になってからだった。
当時私は浜松にある日本楽器(現ヤマハ)に勤め、エレクトーンの設計をしていた。その職場の先輩に幼い頃ヴァイオリンを練習していたという電気技師がいて、話をしているうち今度是非一緒に演奏しようという話になった。しかし今は弾いていなので自信がないとなかなか楽器を持って来る様子は見られなかったが、私が顔を合わせる度に要求するものだからついにある日ヴァイオリンを職場に持ってきてくれた。あこがれの楽器は期待して想像していたよりもずっとみすぼらしく薄汚れていた。

だがいざ一緒に演奏しようという段になって一つ問題があることが分った。クラシック音楽を演奏した人はすぐに分ることだが、各楽器の楽譜はそれぞれ演奏する楽器に都合の良い高さの音符で書かれている。私の演奏するクラリネットの楽譜はAの音程、ヴァイオリンの楽譜はCの音程で書かれていて一緒に演奏するにはそのまま読んでゆけば良いのだが、問題なのは私の持っている楽器が楽譜に指定されているA管ではなく、吹奏楽で一般に使われている半音高い、より明るい音の出るB♭管だったことである。(当時の楽器価格は私の月給の約7倍、ボーナスを頭金に残りはクレジットにしてやっとB♭管を手に入れて会社のブラスバンド部で活動していたのだが、クラシック音楽を演奏するためにはもう一本A管の楽器が必要だということをその時に初めて知った)
B♭管クラリネットを楽譜に書かれているA管の音にするために半音低くずらしてすばやく演奏するということは不可能に近い。苦肉の策でヴァイオリンを半音分高く調弦してもらい、昼の休憩時間に周りを気にしながら防音室の中で音を出したという苦い思い出がある。今から考えると、とんでもない事をしていたことが分る。

示現会、光風会はオーソドックスな写実作品が集まり、一般に広く人気がある。この中に私の知っている先生方や友人達の作品も並んでいる。毎年通っているうちに段々と身近かになって行き、私の体の中にも出品したい欲望が高まって来ているのを感じている。


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