rioshimanの日記
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| 2004年10月20日(水) |
シミ島 〜 ロドス島(泊) |
早朝からホテル内は騒がしい音がしていたと思ったが、私が朝食を取るために食堂に行った時には絵画教室の仲間は既に出発していてもぬけの殻だった。
ちょっと拍子抜けがしてしまった。昨晩展覧会が終わった時には宴会をしていたのだが、私は皆が楽しんでいる時に勝手に近づくのは悪いと思って遠慮し早く自分の部屋に入っていたので、結局お別れの挨拶も出来ず残念なことをしてしまった。でも昨朝食時には「私の友人が東京の麻生に住んでいるのよ」とか色んな話をして今日あたり出発することはお互いに知っていて「良いご旅行を」の挨拶も交わしていた。 それにしても今朝は随分早く出発したものだ。おそらく団体旅行の貸し切りフェリーを都合していたのだろう。
私は定期フェリー船を待つあいだホテル受付の方と色々話をした。以前に日本人は女性が一人泊まったことがあるだけで、此処に日本人が来たのは2人目だとのこと。 昨日の絵画展示会で絵を一枚御付き合いで買ったが30ユーロだったと引き出しからその絵を取り出し見せてくれた。そして私のも見てもらうと、あなたのがずっと素晴らしいのでそれらの絵をスキャナーさせて下さいとお願いされたのでOKを出した。ホテルの廊下には観光客たちによる沢山のシミ島の絵が掛かっているのだが、これといって良いものが見かけられなかったのは残念なことだった。
夕方の定期高速フェリー船は17:50シミ出航〜18:50ロドス到着(12.9ユーロ)で、乗船時間はちょうど一時間、あっと言う間だった。ロドスは大都市、さすが乗客も多い。
ホテルは城壁内の旧市街と外側の新市街にあったが、私は前もってロドス・タウン全体を眺めるために新市街に泊まることを内心決めていた。それで降船した時に何人かの宿客引きが声を掛けてきたが、さもホテルを予約しているような振りをして頭の中に入れている市街地図をたよりに勘でそちらの方に向かう。凡その場所は分かっているつもりでもやはり初めて訪れた場所、なかなか思うように思い描いていたようなホテルには出会わない。海岸の繁華街から町中心の商店街に向かって歩く。
この時期、部屋は随分空いていると思うのだが、最初に飛び込んだ小奇麗なホテルではアラブ系フロントにジロジロと顔を見つめられ「No, Signole. Full」と含み笑いをされながら断られてしまった。そのアクセントは中途半端で最後の言葉が「満員」を意味する英語だと気付いたのはホテルの外に出てからだった。満員ではなく、恐らく他の理由で断られたのだとその時の様子で感じた。何せこの地の人々は東洋人に出会うチャンスはめったに訪れない。
以前レスヴォス島ミティリニで断られた時も黒人系女性フロントで、明らかに東洋人蔑視の眼差しを向けているのを感じたのだが、この旅全体で宿を断られたのはその時とこの時の二度だけであった。 (ちなみに前もってホテル予約をしたのは最後のアテネ2泊だけでその他は現地で飛び込み予約)
少し引き返して中庸のホテルに入る。黒服の上品な老婦人が一人フロントをしていた。日本から持って来た情報誌にホテルの名前は出ていたが、ややこざっぱりした内装であまりはやっているような感じではなかった。だが歴史あるホテルのようで心配はなかった。5Fに案内され身支度をした後、夕食するために外に出る。街全体がカフェバー、レストラン、宝石店、お土産屋、娯楽施設などで一杯だ。
'04ギリシア旅行マップ
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