| 2002年10月27日(日) |
「冷たい密室と博士たち」 |
「冷たい密室と博士たち」(森博嗣著,講談社)
内容:完全に閉じられた実験室の中で二人の大学院生の男女が殺された。犀川創平,西之園萌絵シリーズ第二弾。
相変わらず文章は読みやすい。 んで、相変わらず登場人物の過去がウザくなりそうな予感がある。まだ平気。
んー。「密室殺人」って飽きたなー。謎解きが結局「密室じゃないことの証明」がメインになるから。トリックは謎解きが始まるまで考えない質なので、過程がいつも同じ(「密室じゃない証明をする」と言う意味で)なのは飽きるー。
人死にが嫌いな私がシリーズものミステリィを読み続けるポイントは「レギュラー人物」に有ります。御手洗シリーズの石岡さん、有栖川シリーズのアリス、京極堂は関口さん、に、まつわる人々。そういう意味でこのシリーズは主要人物がまるで琴線に触れず、なのに3作目も読もうかなと言う気になっていると言うことは、その他の部分で私の性に合っているのでしょう。
この作品群で、一番分からないと言うか引っかかるのは作品でなく周りの評価。 「理系ミステリィ」と言われているけどどこが「理系」なのか分からない。パソや研究所がばんばん出ているのが理系?文系でも出るよね?推理が論理的な所?(と、誰かが言った。)論理思考も理系独特でなく、学際全般のものよね?最近は論理思考を無視した、「それが無視されていても気にならない、許せる、凄いと思う文学的表現」を拡大解釈した、文学的なものは(時として)論旨が破綻していても構わないと言う間違った逆説の蔓延する論理思考のない小説が多いから、そういうものを書くのが「文系」で論理的だと「理系」だと勘違いしている?それとも私の理系の定義が違う? 私の「理系」の基本定義は「変換能力が数式に対してある人」です。 「変換能力」と言うのは文系の例を取ると、例えば「英語に対して変換能力がある人」は、「What your name?」と言われてその言葉をそのまま受け入れて「My name is ○○」と答えられる人。「変換能力がない人」は、「What your name?」と言われて「えーと、あなたのお名前はと聞かれたから、私の名前は○○ですと英語で言うと」と考えて初めて答えが出る人。変換能力が無い人はその思考時間は慣れで短くする事は出来ても、無くなる事はない。 「理系」と言うのはその変換能力が数学?数式?に対してある人。極端には、「1+1は?」と言われて「足す」の定義を思い出す事からしなくて良い人。 でもどうもそういう理系的思考で書かれているような話には見えない。周りはどういう定義でこの小説を「理系」と言っているのか教えて欲しいなぁ…。…私の読解力が不足しているだけと言う話もありますが…。 作者も理系の人間らしいけど、小説書いている時点で既に「文系的理系」「文系要素を持った理系」の気がするし。 前書いたSFとファンタジーの差でないけど、「妄想(仮想)をパラレル世界に広げる」のが文系で、「妄想(仮想)を現実の延長(未来)に広げる」のが理系かなとか思ってみたり。 まあこれは作品に対する評価ではないです。
萌絵がやっぱりひっかかった。 「頭が良い」と言う設定なのに、良く見えない。一瞬にして桁のでかい掛け算をするのはその他の利口描写がなければ、頭が良いと言うより、ある種の精神病患者の病的な集中力の結果(ほら、床に散らばったマッチ棒を一瞬で何本か言い当てるような)の気がちょっとした。 あとおっさん!報告書を姪に見せるとはどーゆーコトよ!見せない理由も「ちょっと待て!」。社会人として…、人の上に立つものとして責任とか自覚とか無さ過ぎない?見せてもらいたがる姪も、評価はこれで奈落の底。 図書館のおねーさんはやっぱりこの手の描写なのね…。ふーん、そう…。「陰気で年より老けてみえる、どこかおどおどした図書館の人」って最近の実際では少数派だと思うんだけど…。たまたまそういうのに当たらないだけかな…。
まあでも3作目は読んでみるつもり。
余談。どうもこの作品に入り込めないと言った友人の言。「私は大学にも行ってないので「助教授」と言う人種が分からないからダメだった」と。…なるほど、私が読みやすいのはそのおかげもあるかも。私の職場周りには「助教授」が掃いて捨てるほど居りますわ。
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