それをせき止めるもの。 - 2003年03月25日(火) 詩人茨木のり子の詩に「自分の感受性くらい」という作品がある。 ぱさぱさに乾いてゆく心を/ひとのせいにはするな/ みずから水やりを怠っておいて 気難しくなってきたのを/友人のせいにはするな/ しなやかさを失ったのはどちらなのか −中略− 初心消えかかるのを/暮らしのせいにはするな/ そもそもがひよわな志にすぎなかった 駄目なことの一切を/時代のせいにはするな/ わずかに光る尊厳の放棄 自分の感受性ぐらい/自分で守れ/ばかものよ これは私が結婚した時に母が送ってくれたもの。 感受性が強く、時として感情で周りが見えなくなって しまう娘への応援歌であった。 自分をしっかり見つめ、自分に責任を持って強く生きて行け!という 願いを込めた・・。 初めてこの詩に触れた時、私はその内容にモーレツに感動すると共に 母の「おまえのことは何でもお見通しさ!」 的な、そう、X線写真のような千里眼に「さすが親・・」と舌を巻き、 これから長い道のりを2人で歩んで行くにあたって、 心の中で意をただし、尻の穴までがきゅんとする思いであった。 そして、この詩を心の拠り所とし、私という人間の核にすえながら、 結婚生活を送りつつ、丸8年1ヶ月めが過ぎた少し前の夕方。 テレビ、金八先生の再放送を見ていたら、 武田鉄矢がこの詩を生徒に聞かせるシーンに出くわした。 「あっ、ハァ〜〜イ!みださぁ〜ん、あっハァ〜イ、、あっ、ちゅうぼく〜〜」 と生徒達に声をかけたあと、瓦に目と鼻と口を急いで掘りました、 とういうような鉄矢が・・ ちゅうきのように小刻みに首を振る鉄矢が・・・ 韓国海苔を2枚、張り付けたような髪型の鉄矢が・・・ 「あっ、ぱさぱさにぃ〜〜、、あっ、乾いてぇ〜、、あっ、ゆくぅ〜、 あっ、心うぉ〜、あっ、人のぉ〜、ぜいにはぁ〜、あっ、ずるなぁ〜〜」 などと、私の大切な詩を「鼻がづまってます」調で読むさま・・。 ずびずびと詩を読み上げる鉄矢を見て、私の心はズブズブと沈んでゆき、 しまいには、この詩の一番大切な言葉である最後の「ばかものよ」までもが、 「バカちんがぁ〜!」に聞こえてしまう始末。 私の体の中で血となり蕩々と流れていた詩に秘められたメッセージが・・・・ 今、鉄矢風なアレンジをもって・・・ ・・・・妙にづまってる。 おしまい。 ...
|
|