適職。 - 2002年10月25日(金) 私が17才、高校3年の時に半年ほど付き合った男は ”将来、外交官に必ずなってみせる!という意気込みを持ったエリート 意識の強い男であった。 私はその「外交官」という志にもグラッとし、 彼のルックスにもグラっときてしまったのであった。 身長は181cmのすらりとした体型。顔はちょっと古いが吉田栄作を もう少し甘くしたような感じ。服のセンスもUCLAの学生気取りといった 爽やかなもので、当時、横浜銀蝿調の男どもとしか交友のなかった私には、 かなり新鮮であった。 どうして、そんな別世界の男性と付き合うハメになったのかというと、 ハッキリ言ってナンパされたので。 受験の為、新潟から東京へ夏期講習にやって来て、 拠点としていた旅館で同じくそこに滞在していた彼に声を掛けられたのだ。 まったく親が泣く。何してんだか。 彼の出身は偶然にも同じ新潟であった。 中学卒業と同時に八王子の高校に進学して、当時は寮生活の身だった。 駿台の夏期講習に通うには、寮からでは遠いので旅館に こうして滞在しているのだと、白い歯をきらっと見せて微笑んでたっけ。 彼は一つ下の高校2年。上智大学の英文を目指していた。 さすがだ。私のように受験を半年後に控えてあたふた準備するヤツとは わけが違う。エリートだから。 彼に声を掛けられた時のことを私は今でもハッキリ覚えている。 旅館内の学習室で私が思いついたように勉強をしていると、予告もなしに 急に横から2つに折り畳んだ一枚のメモが流れてきた。 なんだこれ?と思いつつ取り敢えずメモを開く。 するとそこには「What is your name?」の文字。 まわりくどい。 あまりのくどさに名前を聞きたいのだな、と分かるまでに かなりの時間を要してしまったではないか。 何故、名前なんて〜の?とストレートに聞けないのか? しかし、私は若かった。 今なら笑っちゃうようなこの手になんだかドキドキしてしまい、 顔も見ずに「My name is 〜〜〜」と、自分の名前をやはり英語で 書き、ツ〜〜っと横にスライドさせて返してしまうという マヌケな対応をとったのであった。 半年しかもたなかったのは、夏期講習を終えて私が新潟に戻り、 遠距離になってしまったのと、付き合って見て気がついた 彼のオレ様ぶりに私が辟易したからだ。 彼はエリート意識が強い分、かなりの自慢こき。 英語がかなりできたらしく、外人に道を聞かれてペラペラ答えただとか、 中学時代、県内統一模試では一番だったとか、いかに自分が語学面で 人より優秀かを延々と語ったりする。 離れていたから、手紙のやりとりもあったのだが、 日本語で書けばいいような文言まで英語だ。 「好きだよ」の「I Love You」はいいとして、 「ところで〜」の「By The Way」はいかがなものか? 「おまえの英語の勉強の為だよ!」と言っていたが、大きなお世話。 辞書をいちいち引いて大変だったぞ。 彼の”オレ様”ぶりはそれだけではない。 ジャズ通だと豪語し、 私が興味のないジャズ専門のレコード店に、2時間も付き合わせたり、 美味しい物を食べさせると言うから期待して着いていけば、 そこは、料理より彼の大好きなジャズの生演奏がウリな店。 私の誕生日には、ありがた迷惑なことに、 自分が好きなジャズの曲を「Best Song for you」 のタイトル通り、自ら編集して私にプレゼント。 他の物が欲しかった。 新潟にたまに帰ってきたりするので、会いたいと言っても、 ”久しぶりに家に帰ったから母親の側にいたい”とか言う。 私だって久しぶりなんじゃないのか!? そのくせ、アポなしで東京からやってきて、言ったセリフが 「会いたかっただろ?」 まったく振り回されてばかりであった。 風の噂によると、彼は外交官にはならなかったらしい。 今はどこで、何をしているのやら・・・。 今、外務省の姿勢、特に拉致の問題での被害者家族の気持ちを無視した 対応が問われている。 エリートだから、一般民衆の気持ちが分からないんだな、きっと。 ”国民をなおざりにしたオレ様的外交。” あっ、なんか、この感じ誰かに似てる。 ”彼女という私をなおざりにしたオレ様的交際。” あの年下の彼だ。 そう考えると、外交官は適職だったのかもしれないのに・・。 残念! おしまい。 ...
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