大きなのっぽの古時計的 午後 - 2002年10月14日(月) 午後一時過ぎに雁首揃えて起きた私と旦那であった。 で、ご飯を食べた後、私がトイレに入ってしっかり力んで帰ってくると、 旦那が台所の椅子に座り、ボロ〜ンボロ〜ンとご機嫌な感じで ギターを奏でている。 何を弾いているのかと訪ねると、 「”平井堅”の大きなのっぽの古時計」だという。 ”平井堅の”と言われても本人が歌っている、もしくはギターを弾いている のでなければ、私にしてみれば旋律は一緒で、 幼い頃からお馴染みの”ただの童謡”。 う〜ん、大変だ。平井堅が歌って、大ヒットしちゃったもんだから、 これから先、「大きなのっぽの古時計」を語る時には、 全国民がいちいち曲名の前に”平井堅の”とか”ただの童謡の”と、 お断りを入れなければいけなくなったではないか。 そんなことを憂慮しながら、 「平井堅もさ〜、なんでその歌だったんだろうね〜、他の童謡でもいいじゃん」 と私がしたり顔で言うと、旦那が感慨深そうに、 「この曲にはドラマがあるのさ・・。」となにやらしんみり一言。 彼は平井堅がこの歌に幼い頃から思い入れがあったこと、 歌の中に出てくる古時計を求めて旅をしたこと、 そしてモデルとなった時計と出会って感激したこと等を蕩々と語って くれるのであった。 なるほど、そんなドラマが隠されていたとは。 NHK「みんなの歌」から火がついたある意味「だんご3兄弟」と 同一ライン的な歌かと思っていた。 うちの旦那は顔こそモアイだが、これがなかなかのカラオケキングであり、 歌声も結構甘い。 平井堅の「楽園」なんか歌った日には、その声で女の一人ぐらい騙せそうである。 なので、試しに平井堅に成りきってもらい別の童謡「大きな栗の木の下で」 を歌ってもらうことにする。 平井堅も今までただの童謡であった「大きなのっぽの古時計」を こんなに日本人に愛される癒し系にまで地位を引き上げたんだもの、 その実力を不動のものにすべく、続く第二弾を狙ってるハズだ。 曲調もなにげに似ているではないか。これは良いかも。 ボロ〜ン・・ボロロ〜〜ン 「大きな栗のぉ〜木のしたでぇ〜〜〜〜あ〜なぁたぁ〜とわ〜た〜し〜 なぁ〜かぁ〜よ〜く遊びましょぉ〜〜大きな栗のぉ〜木の下でぇ〜」 ・・・短いのであった。拍子抜けであった。ぜんぜんジ〜〜ンとはこない。 しょうがない。ここはひとつ「大きなのっぽの古時計」の別バージョンを 堅の為に考えることにする。 ”おじいさん”という歌詞を”ばあさん”にするのである。 ボロ〜ン・・ボロロ〜〜ン。 「おお〜きな のっぽの 古時計 おばあさんのぉ〜時計〜100年いつもぉ〜 〜○×△〜〜〜おばあぁ〜さんの生まれた朝にやぁて〜きたとぉ〜けいさぁ〜」 なんかダメだ。 歌詞は100年という間、いつもおじいさんの傍らに時計があったという内容。 それをおばあさんに変えてみると、ど〜も金さん銀さん、 もしくはこの前の敬老の日に、取材を受けていたにも関わらず途中で 寝てしまった沖縄の長寿バアチャンが脳裏に浮かんでしょうがない。 やっぱり、平井堅のあの声にして、あの曲、あの歌詞だったから 良かったのだなと、思いつつ、 最後は旦那のギターに合わせて私が「大きなのっぽの古時計」を歌うという 夢の”夫婦コラボレーション”で締めてみたのであった。 ボロ〜〜ン ボロロロ〜〜ン 「おお〜〜きなのっぽのぉ〜〜古時計〜〜おじいさんの時計〜〜」 おしまい。 ...
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