台所のすみっちょ...風子

 

 

東京の空の下 - 2002年10月07日(月)

土曜日の夜、妹とその旦那がバイクにまたがり

颯爽と風に吹かれてやって来た。

私を心配してお見舞いがてら食事を作り

に来てくれたのだった。


熱を出したのが、水曜日、救急行って点滴したのが木曜日、

そして、そんな時に限って旦那は金曜日から3日間の出張という

運が悪いとしか言いようのないシチュエーション。

置いてきぼりかよ!とも思ったが、

私は「仕事と私のどっちが大事なんだぁ〜?」とは聞かない。

だって、生活かかってる。そりゃぁ〜仕事だろう、私でもそうする。

で、自分の居ない間40度を超えちゃったらどーしようと、

気が気でない旦那が「後のことを頼む」と、まさに妹夫婦に私の事を

”よろしく”したのだった。

こんな事で、こんなにも早く私の”よろしく願望”が叶うとは、

人生わからない。


妹もその旦那も平日は仕事で忙しいので、

いざ、よろしくされる事が決まると申し訳ない気持ちでいっぱいであった。

疲れているハズなのに、玄関のドアを開けた私に妹とその旦那は

夕食の材料と必要な荷物を抱えながら

”よろしく隊参上!”とでも言いたげに不敵な笑いさえ

浮かべていたのであった。


彼女が作ってくれたのは、きのこたっぷり入りのうどん、

枝豆と海苔のおにぎり、即席の胡瓜とキャベツの浅漬け、

それから芋の煮っ転がしだった。

とても、実の妹とは思えない。

びっくりするほど旨かった。

その瞬間までまったく食欲のなかった私だが、危うくお代わり等して、

本当に病の床に伏していたのか疑われてしまうところであった。


私達姉妹は小さい時には本当にケンカばかりしてた。

あっ、もとい、私が意地悪な姉だったんだ。

例えば、母に2人で頼まれたお手伝いを全て彼女にやらせては、

自分一人の手柄にしてしまったり、

「子鹿物語」を見て泣かなかった彼女を冷たい女だと言ってからかい、

泣いたら泣いたで「やぁ〜い、鬼の目にも涙!!」等とはやしたて、

いっそう泣かす始末であった。

プロレスごっこと称して、オンドリャァ〜〜と彼女の腕の骨を

外してしまったことも2度ほどあった。

私は幼い頃から非常に感受性が強く、短気であったので、

そんなヤツの妹として彼女は何かと大変だったに違いない。

いや〜〜間違いない!


時が経ち、それぞれが大人になった今、

私達は非常に仲良の良い”おしどり姉妹”となった。

振り向けば、穏やかで優しい彼女に、

私はどんな時も助けられてばかりである。


食欲の無かった私が3日ぶりに口にしたのは、

ホワホワと湯気の立つうどんときゅっと握った小ぶりのおにぎり、

ホックリ煮付けられた里芋・・。



新潟から出てきて、この東京の空の下で2人。

お互い姓が変わり、別々に暮らすようになっても、

私が彼女の姉であり、そして私の妹であることに変わりはない。

ふふ・・。


               おしまい。


...




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