七竃雑記帳
桂木 炯



 こんなの食べてたよね?


思い出話で食べ物っと

・・・・・

今ほどケーキ屋さんも無かったし
タカ○ブネか不○家か
近所のケーキ屋(しかもバタークリーム)
だったし

お菓子は
100円などの大きいお菓子(涙)
は滅多にかってもらえなくて
駄菓子屋に100円持って行ってました
そういう店は
お好み焼き・たこ焼きもやってたり
(たこ焼きは一舟100円だったし)
ヤマザ○パンとかいう看板のある
文房具も一緒においてるような店であったりしてました
もちろん
銀玉鉄砲とか、水風船とか、シャボン玉とか
爆竹とか、落下傘とか、ビー玉とか
ぱらぴんねんどとか、塗り絵とか
当て物式のブロマイドとか
そーいう玩具も一杯売ってた


ミカン水も冷やしあめ(砂糖水に生姜汁の入った味)
も売ってたし
アイスは真ん中で二つに割れるソーダアイス(30円)

王将アイス(センタンから出ていたチョコ・バナナ・苺の
3つの味が楽しめるもの/しかし嘘臭い味)


卵アイス(バニラ味のアイスが風船状ゴムの中に入っている最後の方は気を抜くと大惨事)

高いのはメロン型の入れ物に入ってた
シャーベットと色の付いた氷の粒が入った宝石箱っていうアイス
が好きだった
あとホームランバー


もちろん駄菓子は
ビニール個包装なんて優しいことしてません
店のおばちゃんお手製の
広告用紙で出来た小さい紙袋に
スルメとか入れて貰ってた


それと
お嬢に聞いたところ
すでにお嬢の時代ではごちそうではなかったと聞いて
軽くショックを受けたんですが
関西ではお馴染みの(どのエリアまでの話かは不明だが大阪府下では常識)


チューリップ



小さい頃の
お誕生日特別メニュー・・・・
鳥の手羽をくるんとひっくり返して
上部に肉を寄せて
骨だけ持って食べれば良くなっているもの
なのですが
これがごちそうだったんです!
ていうか
最近見ないんですが
これがごちそう世代ってどこまでなのか一体?


あとは
思い出すとすれば
ビックリマンチョコ流行りすぎ
ってことぐらいですね

裕福なようで
そうでもなかったかも知れないです
お母さんによく蒸しパンつくってもらってたし
お好み焼きの後
残った生地に砂糖入れて
「あまやき」(と、呼んでいたが甘いクレープ)
作ってもらうのが楽しみだったし


あ、豆腐屋さんも
ちゃんと町内回ってきてました
ボールとか鍋持って
お使いに行ってた


今より
絶対おいしいモノ食べてたと思う


2003年10月11日(土)
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