今日もガサゴソ
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2004年03月01日(月) えりちゃんのこと 1

子供の頃、よく遊んでくれたお姉ちゃんがいました。
母が子供好きだったとは思えないのですが
多分、ぼんやりした雰囲気が子供たちを
ひきつけたのでありましょう。
家には近所の子供たちが
ドヤドヤと遊びに来ては
私をかまってくれました。
幼心にも、人を赤ん坊扱いにしたり
おもちゃのように扱うお姉ちゃんたちは大嫌いでしたが
えりちゃんだけは違っていました。

何をして遊んだとか
そういった記憶はなくて
ただ、抱っこしてもらったような
気もします。

ふっと現れて
ふっと消えていったような
えりちゃんがどこの家の子だったのか
かなり詳しい記憶のある私でも
たどることが出来なくて
何度も何度も母に
えりちゃんはどこに行ったのと訊ねたものでした。
母はいつもはっきりとは答えてくれませんでした。


小学校に上がってすぐのことでした。
親しくしていた近所のおばさんが
新しく造成された団地に土地を買って家を建てるというので
その土地を見に行くのに
連れて行ってもらえることになったのです。
家からはそう遠くない場所で、散歩がてら、といった感じでした。
その時に大きなお姉さんになっていた
えりちゃんにあったのです。
えりちゃんは明るい色のレインコートに白い長靴を履いていて
もうすぐタンダイというところに行くんだと言っていました。

時々、あれは夢だったのかと思うことがあるのですが
あの日訊ねた土地に
おばさんの家は建ち、
またえりちゃんはどこかに行ってしまいました。


30歳半ばを過ぎて、東京で結婚していた私は
両親の病気のため
亭主と二人で、私の故郷に移り住みました。
両親とも半健康半病人状態で
自由に外出したりするような元気など持ち合わせていない私は
ひたすら二年間、台所あたりでしゃもじや針を振り回して
暮らしていました。

そんなときに、
子供の頃可愛がってくれた
あの団地に家を建てた家のおじさんが
交通事故で亡くなってしまいました。
私はお葬式の受付係などして少しだけお手伝いをしました。
たくさんの弔問の方に混じって
えりちゃんが現れたのです。

母が「えりちゃん、この子があの赤ちゃんだったのよ」と
いうのです。


えりちゃん、どこにいっていたの
だれもえりちゃんがどこに行ったか教えてくれなかった
このお家が建つ前に一緒にここにきたでしょう
とんちゃんのおばちゃんも一緒だったでしょう
えりちゃんはいつも優しかった
いつもえりちゃんのことを思い出していたのに


えりちゃんは
ふくろうちゃんが(ちょっと苦しいですね...)
私を覚えていてくれた、といって号泣しました。

最後に会ったときから30年過ぎていました。


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