いっしょくんの日記

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なんとなく 書くんで〜
なんとなく 読んで下さいね。

2002年11月15日(金)  刺激


 施設へ行きました
 
 食事介助のときに
 いつも あまり反応のない方に
 話しかけてみます

 『こんにちは』
 不意打ちの笑顔と挨拶に
 驚かれます
 「こんにちは」
 不覚にも答えてしまった・・・
 そんなことはなかったでしょうけれど
 ピントがあったようです
 あんまりニコニコとしていたせいでしょうか
 「かわいいね」
 なんて言葉が出ます
 うれしい・・・
 繋がりついでにもうひと刺激
 『どちらでお生まれですか?』
 と伺うと
 「私は台湾で生まれたの」
 ええええっ
 繋がってる・・・
 『ご兄弟は?』
 「お兄さんはいない・・・・お姉さんはいた
  弟も妹もいない・・・」
 『お父さんのお仕事は?』
 「・・・・・」
 あ・・・繋がりが切れてしまったかな・・
 『お父様は厳しかったですか?』
 「父はね・・そんなことなかったですよ」
 あ・・・もどってる
 『お母様は優しかった?』
 「・・・・・・」
 このあとは もう何を伺っても
 答えがありませんでした
 ほんのわずかな時間の出来事でした
 でも この方の脳に刺激が加わり
 記憶の回路が 繋がったのです
 人間の言葉って すごい刺激だと感じました

 聞こえない人は?
 そう思ったとき ヘレンケラーを思い出しました
 彼女が聞こえない世界に入って
 自分を閉ざしてしまったとき
 サリバン先生の働きかけによって
 少しずつ自分を取り戻していきます
 そして衝撃的な水の感触 「W・A・T・T・R」で
 幼いころの記憶が蘇ります
 手のひらからの刺激で 言葉を思い出したのです
 
 聖書に 「パンを食べなくても死なないが
 言葉で死ぬことができる」

 というようなものがありました
 確かに 食べない心の痛みより
 人の言葉で傷つけられた心の痛みのほうが
 はるかに 深く傷つくものです

 言葉はうまく使えば よい刺激になりますが
 使い方を間違うと 凶器のように傷つけていくのです

 あらためて 言葉の重さを感じました



       言葉


      一つ一つ 

      選ばれた言葉は

      大切にくるんであって

      手渡すと相手が開く

      喜んでもらえたら

      とても幸せ

      生きている間ずっと

      私は人から

      言葉の包みを

      もらい続けたい

      そして渡し続けていきたい

      
  


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