いっしょくんの日記

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なんとなく 読んで下さいね。

2002年11月09日(土)  呼吸

 聾学校の文化祭に行ってきました
 
 新しく建て替えられてから
 まだそれほど年数が過ぎていないので
 外観も中身も 近代的です

 聴覚障害の子供たちがしている補聴器が
 カラフルでおしゃれなものになっていることに気がつきました
 赤や青 ピンクや 迷彩色まであります
 そういうおしゃれはいいものです

 幼稚部のおゆうぎ会 小学部の舞台発表会などがあり
 小学部を観る事に・・・
 みんな頑張って明るい表情で挑みます
 手話を使う子と キュー式を使う子とあり
 自分で選択できるようでした
 手話は目にすることが多くなり
 見慣れてきているのですが
 キューというのは 昔ながらの
 発音を重視した サインのようなもので
 行によって 手のサインを変えるものです
 あ行は「あー いー うー」と声を出すと
 胸に音が響きますから 胸に手を当てるのが
 あ行です か行はのどの奥をはじく発音なので
 のどを指差すのがか行です
 このように発音のイメージにあわせた
 サインをつけながら 50音で伝えていきます
 私たちが話をする速さでサインをつけて話すものですから
 とても読み取れません
 舞台の横には パソコン通訳機が備え付けてあり
 台詞やエピソードはそれを読むことでわかるようになっていました

 私の後ろに座っていた人は父兄らしく
 一人一人について語り合っています
 「背が伸びたわねぇ・・・」「大人っぽくなって・・・」
 その中に
 「もったいないね あんなに口話ができているのに
  キューを使わせているなんて」
 という話が聞こえてきました
 なるほど 手話なら単語で話をするので
 「わたしは みんなといっしょに 行きたい」
 というのも
 「わーたーしーはーみーんーなーとーいーきーたーいー」
 となってしまうのです
 それから
 「綺麗な声でうらやましいわぁ」
 という話も 聞こえました
 聴覚障害ですと 自分の声が聞こえないから
 どうしても大きな声になり 裏返ってしまいます
 声量を一定に保ち 発音することは
 とても大変なことなのだと思います
 親の視点から見ると そういうことに着目するのです
 小耳に挟んでしまった会話でしたが
 子供の成長を望む親の姿に
 心を揺さぶられるものがありました

 劇のあとは 中庭で和太鼓の演奏です
 高等部の子供たちも演奏したようですが
 私たちが見たときは 卒業生で作られた
 同好会のようでした
 聴覚障害児の音楽教育に太鼓があることは聞きますが
 タイミングや呼吸を合わせるのに
 とても苦労するため 太鼓は嫌だという
 年配の聾者の方もいらっしゃいます
 客席といっても立ち見ですが
 そちらに向けて並べられたいくつもの形と大きさの太鼓
 お祭り姿の男女が登場し 配置につきます
 準備が整うと あたりの空気が張り詰めます
 合図は 呼吸
 みんなの視点が集まり 目の掛け声のようです
 まったく狂いがなく 叩かれ始め
 呼吸を合わせて間を取りまた打ち始め・・・
 視線 呼吸 リズム
 全身で太鼓に挑みます
 中庭には 大勢の観客です
 聞こえる人も聞こえない人も
 同じ響きを体で感じ 同じ響きを楽しんでいる
 同じ空間を共有しているのです
 太鼓の響きが 体中をかけ渡り
 感動で涙腺が緩んでしまいます
 
 キューのやり方 また覚えてみようかな



      響き

   体で感じる音 ひびき

   振動により

   そこには音があることを知る

   体中が耳となり

   体中で受け止める

   音のない音

   音のない世界とは

   どういうところなのだろう 


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