「何でもあり」の世の中で 何が正しいのか 何が常識的で 非常識なのか 判断するのに戸惑うことがある
つまり・・・基準がないから はかることが出来ない 人がしているから してもいい 誰もしないからしないでおこう そんな判断が 日々其処此処行われる 昔の井戸端会議というのは そんな常識を判断する力を養う場だったのかもしれない 他人はそのことをどう感じるのか どう思うのか 他愛もない会話から 身についていく もっともだと思う人の意見 それは違うと感じる考え そうしながら自分というものが出来上がり 価値観が養われる でも やはり井戸端だけでは 世界が狭い そこで作られた自己は 外のもっと広く大きな場所でも 磨かれる必要がある
井戸端に集まる人の代役が友達かもしれない できるだけ年齢層の幅広がひろく 男女問わないほうが たくさんの意見が吸収できて豊かになる 出逢うこと 出逢いを生かすことが大切となる 自分では正しいと疑わなかったものの見方や そこでは包まれていた自分というものも 外を知ることで 幅が出来る 時にその幅は ゆとりとなり また 許しとなる 幅を持たないものの考え方の人と話をすると 窮屈になり この人の考えの中に入ったとしたら 私は許されない生き方であると 感じてしまうことにもなる
それは・・・自分が相手にもしている可能性があるということ 自分を主張するとき いつも不安が伴う どこでどういう立場の人が聞き どう感じるか 傷つきはしないか 悲しまないか 頭の中が張り詰める 「間違っていたら 言って欲しい」 否定されることを恐れずに 自分を主張したい 間違えに気づいたら すぐに認めて 訂正したい 自分が傷つくことを恐れていたら 何も変わらない 変えられない 変える必要のあるものが 目の前にあったとき まずは自分の頭と心を柔らかくし 聞く耳を持って 優しくありたい
見えないもの
聞かなければわからなかったこと
こんなに苦しかったのかと
涙の重さを知った
言葉は心にのしかかり
何を見ても何を聞いても
崩れるほどの悲しみに繋がっていた
気丈な姿からは量れなかった
見えないものを抱えたあなたの姿
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