| 2008年11月26日(水) |
Ian Bostridge |
Ian Bostridge を見てきました。
一瞬、気が遠くなった(寝た)けど、素晴らしかった。
前半が独語、後半が仏語、アンコールは独語のものを数曲。
いやぁ普通の歌でもわからないけど、 ああいう歌い方されるとますますわからないね。 聞き取れないことこの上ない。
終了後、サイン待ちの長蛇の列ができていた。
オペラ・シティのコンサートホールは初めてだけど、立地と雰囲気がイイよなぁ。 (話は変わるがTOCは私の青春の地なので文句なく懐かしかった)
価格設定をミスったのだろうか、 空席が目立ったのはなんだか寂しい感じだった。
彼のプロフィールがこれまたすごい。
オックスフォードとケンブリッジ大学で哲学と歴史を学び、1990年に博士号を取得。 専門は中世ヨーロッパの魔術師でこの分野でも若手の権威として知られている。 卒業後は研究員としてオックスフォード大学に残ったが、 1991年エッソ・ヤング・アーティスト賞受賞を契機に音楽活動に専念。
ですって。博士号!中世の魔術師が専門! うーん。おいしすぎる設定。
それにしても、「意味が理解できない(異国語の)音楽を聴くということ」 について改めて考えさせられてしまった。
何の歌か、どんな歌か、わからないまま聴くのはなんだか不安で。
多くの観客が原語と日本語の対訳のついたパンフレットを 広げながら鑑賞していた。
逐語訳はいらないけど、タイトルと概要くらいは説明した方がみんな安心するんじゃないかな? なんなら今は字幕表示することだって簡単なんだし。 いや、パンフを買えばいいでしょって言われればそれまでだけど。
つまり、出会い−>恋に落ち−>別れ−>嘆きというような流れの曲がある場合、 少なくともそれくらいの情報は提示した方が聴く方も落ち着くんじゃないか。
情報があれば、それが妄想スイッチを刺激して、 「ああ、これは恋が始まる時の明るいトキメキだな」とか 「恋人を失って嘆き悲しんで慟哭している叫びなのだな」とか そういう解釈も可能なわけ。
逆に情報がなければ、妄想は純粋に音楽から想起されるものなわけで、 そっちの方が音楽鑑賞のあるべき姿なのかもしれない。
絵画の鑑賞にタイトルとか絵師の名前が必要か、という問題とも似ている。
私は付加情報こそが妄想に火をつけるタイプなので、つい情報を気にしてしまうけど、 多分それは私が芸術的な人じゃないからね。
どうでもいい感想としては、 ・私はやっぱりホノボノより激しい慟哭系の歌が好き ・独語の方がやっぱいいなぁ。 ・仏語も対訳を見てるとなんとなくわかる。ラテン語ルーツの英語を覚えるとお得!
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