CYMA’S MURMUR

2004年10月24日(日)   血脈

母方の母方(つまり私の祖母方)の家系は、
とてつもなく血縁を重んじる。

別に○○家を残すため、とか、そういうのではなく、
異様なまでの家族に対する執着と愛がある。

私が大学に入って東京に出てきた頃、
母からは毎日、祖母からは3日に1度程度電話があった。
心配で、居ても立ってもいられなかったらしい。

私が1ヶ月ヨーロッパを旅行していたときには、
祖父母、母、父(単身赴任で別居中)の3箇所に、
順繰りに葉書を(3日に1度程度)書いていたのだけれど、
その3者は、日々電話で、私の葉書に何が書いてあったか、
報告しあっていたというくらい。

ただの過保護なおうちだと言えばそれまでだけど、
それだけでは済まされないような迫力がある。



具体的なことは書かないけれども、今回祖母の死後、
祖母の遺志(意思)ともとれることが色々起こったり発覚したりして、
祖母の家族愛の強さというようなものを痛感している。



この家族愛は、カニバリズムにだって発展しそうな強さだよ、
なんてことをふと思った。唐突なようだけれども。

たとえば、事故や何かに家族が遭遇したとして、
自分の血肉を与えれば子や孫が生き延びるなら、
喜んで体を提供するだろう、というようなことだ。

「自分を食べてでも生き延びろ」というような
強いメッセージを送られたとき、私はどうするのだろうな。

鬼気迫る迫力があるのだ。
うちの祖母と母には。



親戚筋の中には、祖母の愛の根源を、
幼い頃に母親を亡くした経験に見る向きもあるけれど、
それだけじゃ説明がつかない気がする。
だって、祖母以外の親戚だって、すっごい家族に執着してるもん。

それは、子供のためならどんな犠牲を払っても構わないという覚悟でもあり、
また、甘やかしすぎて子供をスポイルしてしまうことであったりもする。

たいてい、ダメになるのは、息子だ。
母から息子への溺愛というのは、母から娘への溺愛の比ではないので、
マザコン男はロクでもない、ということだけは、はっきり言える。
うちの親戚には、ほんと、ロクでもない男が多い。



一方、父方の家系は、家族のつながりがとても緩やかだ。
母方的濃い関係から見ると、それは冷淡に見えるほどだけれど、
特に気にかけてないわけでもなく、それでも家族でも他人、という風情。



どっちがいいというものでもないのだけれど、
少なくとも祖母と母の強い愛(であり、思いやりであり、思い込みであり、執着)が、
私を生かしてる部分はある。
何があっても、受け止めてもらえる場所がある、という意味で。

だから、祖母が亡くなったとき、
私は自殺に一歩近付いたな、と思った。
私の自殺を阻む理由の1つである祖母の存在がなくなったということだから。






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