日曜の夜。
1人でチューハイなんぞを飲んでいます。
私が1人で家でお酒の類を飲むのは、 3年に1度あるかないかの珍しい出来事。
このチューハイは、通販で買った品物と一緒に、 試供品として我が家に届いたのだけれど、 半年以上も冷蔵庫に寝かせてあったのだ。 でも今日は久々「酒だ!」という気分だったので。
祖母の死が、 とても、しっくり来ている自分を、 持て余している感じ。
もう会えないんだなあ。 何をどう頑張っても会えない。 優しくしてあげられない。 もう二度と。
とても冷静に、 悲しい事故だったけれどこれでよかったと、 納得させるポイントを数え上げてみたり。
ふと。 −−−ああ、もう、ゴキブリ団子作ってもらえない。 なんて、どうでもいいことに思い至ったり。
今、少々、号泣したけれど、 どういう反応をしめすべきなのかわからない。 「べき」なんてないんだろうけど、 もっとトコトン泣き喚くべきなんじゃないかとか、 残された人が嘆き悲しむと故人は成仏できないとか、 どのみち人間はいずれ死ぬんだからとか、 死んだら無になるだけだから、 私の中にある祖母の思い出を大切にしていくべきだとか、 なんだかよくわからない考えがぐるぐるしてる。
ただ、今回の突然の祖母の死でわかったのは、
私は孤独ではないんだな
ということ。
孤独っていうのは強いことなんだ。
孤独って言うのは、 寂しいとか誰かに話したいとか分かち合いたいとか 理解して欲しいとか、全く思わないことなのだろう。
少なくとも泣きつける相手がいて、 不安をぶつける相手がいて、 だから私は弱くて、そして孤独でない。
多分、幸せなことなんだろう。
どんなチッポケな人生だって、 スタートを切ってしまった以上、 進んでいかなくてはならないのだから。 孤独でないというのは、幸いなのだろう。
私は祖母を愛していた。とてもとても。 でもそれ以上に、祖母は私を愛してくれていた。
孫の中で、祖母は私が一番好き。 それは、親戚中の共通認識だった。 私が一番のお気に入り。 だって、初孫で、一緒に過ごした時間も一番長かったし。
でも今回お葬式やその他のイベントで、 祖母が大事に思っていたのは私だけではないのだなぁと そんな当たり前のことに気が付いた。 みんなが祖母を大切に思っていて、 祖母もそういう人たちに囲まれて幸せだったと思う。
私が祖母にしてあげられることはもう何もないけど、 私は祖母のことを決して忘れない。 50年後だって、忘れないよ。
そして、とりあえずは、真面目に仕事して生活していく。 誰からも後ろ指さされないように。 祖母が自慢に思えるように。
いつか、 ひ孫でも見せてあげられればいいんだけれど、 そればっかりは思うとおりにはならないから。
だから、見守っててね。
|