ここのところ、元彼のことを毎日思い出している。
奇妙な思い出し方。
楽しかった色々なシーンが頭をよぎる。 心の表面は強張るけれども、中心部では何かが動いている。
悲しいわけではない。もったいなかったなあというのが一番近い雰囲気だ。
昨日、村上春樹の『村上ラヂオ』を読んでいたのだが、 そこに次のようなことが書いてあった。
人は「サヨナラ」を言うたびにちょっとずつ死んでいく、 と言った人がいるが、そのときに死ぬのではない。 失ったものを実感として受け止めるのには多少の時間がかかる。 ひとまわりして実感がやってきたときに人は少しずつ死ぬのだ。
こんな感じだったかな。 うろ覚えなので、ちゃんと知りたい人は本をお読みください。
山の手線の中でこのクダリを読んで、腑に落ちた。 私は今ようやく彼がいなくなったことによる死を迎えているのだ。
それが、この奇妙な感覚の正体だ。
本当かどうかはどうでもいい。 私はそれで納得したし、便宜的にそういうことにしておくというのもありだろう。
袖振り合った人の不在は、大なり小なり残された者の心に穴をあけていく。 元彼のセリフをあらためてかみしめている。
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