CYMA’S MURMUR

2003年07月02日(水)   小さな死

ここのところ、元彼のことを毎日思い出している。

奇妙な思い出し方。

楽しかった色々なシーンが頭をよぎる。
心の表面は強張るけれども、中心部では何かが動いている。

悲しいわけではない。もったいなかったなあというのが一番近い雰囲気だ。

昨日、村上春樹の『村上ラヂオ』を読んでいたのだが、
そこに次のようなことが書いてあった。

   人は「サヨナラ」を言うたびにちょっとずつ死んでいく、
   と言った人がいるが、そのときに死ぬのではない。
   失ったものを実感として受け止めるのには多少の時間がかかる。
   ひとまわりして実感がやってきたときに人は少しずつ死ぬのだ。

こんな感じだったかな。
うろ覚えなので、ちゃんと知りたい人は本をお読みください。

山の手線の中でこのクダリを読んで、腑に落ちた。
私は今ようやく彼がいなくなったことによる死を迎えているのだ。

それが、この奇妙な感覚の正体だ。

本当かどうかはどうでもいい。
私はそれで納得したし、便宜的にそういうことにしておくというのもありだろう。

袖振り合った人の不在は、大なり小なり残された者の心に穴をあけていく。
元彼のセリフをあらためてかみしめている。




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