| 2002年12月21日(土) |
お久しぶりです。生きています。 |
何日もPCを立ち上げる事ができない日が続いた。私の周りにはいろんな問題がありすぎて、その一つ一つをどうやって消化して行ったらいいのかわからず、苦しむ日々だった。結局何も出来ず、ベッドに横になっている事が多かった。
父は薬の副作用で「せん妄」という状態になり、ボケと似たような症状になってしまった。自分が教師をしていた頃に戻り、名詞を作らなければいけないとか、私達の下宿を探さなきゃいけないとか、若い子を呼び止めては「君、君」と声をかけたり、それを止めるのに、私たちは苦慮した。
薬の副作用なんだからと、母に言い聞かせ、自分に言い聞かせても、それが元に戻るかどうかはわからない辛さ。自分の病室さえもわからなくなってしまった父は、外泊の後、閉鎖病棟に移ることになっている。
先日、リハビリのTさんと、マッサージ師のYさんと私の3人で飲みに行った。金曜日の6時に仕事が終るとロッカー室で顔を合わせる3人だ。言いたいことを言い合い、たくさん笑い、とても楽しい時間を過ごした。その後、Tさんとカラオケに行こうということになり、主人を呼んだ。
思いっきり歌った後、主人が会計をしていた時、Tさんに言われた。 「リハビリで、Kさんがいつまでも手首に包帯をしているのはおかしい、って言ってるよ。あれは手首を切ったんだ、って言ってるけど、私は『お姉ちゃんに限ってそんなことはない』と言い張ったんだ。どうしてそんなことをするの?子供がかわいくないの?優しいダンナだっているじゃない?そんなことするお姉ちゃんは嫌いや!」
激しい口調だった。
「病気なんだよ。鬱病なんだ。その症状の一つ」
「言い分けは聞きたくないよ。とにかくそんなことするお姉ちゃんは嫌いや!」
「わかってもらえないかもしれないけど、心の病気っていうものもあるんだよ。世の中にいろんな病気があるのと同じように、その病気の一つだよ」
「だったら、私は鬱病です、って言えばいい」
「私は言おうと思ったよ。でもAさんに止められた。Kさんは隠すのは嫌だと思うかもしれないけど、変にウワサを流す人もいるし、みんながわかってくれるとは限らないから言わない方がいいと止められた」
「わかんないよ。物事悲観的に考えちゃいかんって」
「悲観的に考えているわけじゃない。そうじゃない。私は死にたくはないんだからね」
「じゃあ、どうしてそんなことするの?」
私はもう何も言えなかった。全てを短い時間で話すのは無理だった。
少しの沈黙の後、
「でもお姉ちゃんが好きだよ」と言われた。
お姉ちゃんと言っても、私が2歳年上だと言うだけで、向こうのほうがよっぽどしっかりしている。
私はショックだった。鬱病はまだまだ理解されない病気なんだなと感じた。 それでも、ウワサになっていることは気にしない。
主人と二人になってから大泣きした。
でも主人は、「その人は考え方はどうであれ、ききのことを思ってくれている事には変わりないんだよ」と言ってくれた。
その後、病院で会ってもTさんとの間は変わりない。
今日病院の忘年会があった。出席したいわけでもなかったが、先生から「看護婦の人数が少ないから出てくれ」と言われたので、出ることにした。
お開きになって帰ろうとすると私のブーツが無かった。誰かが間違えて私のブーツを履いて帰ってしまった。私は残ったブーツを履くしかなくて、心当たりのある二人に電話した。1人は違った。もう1人は、私をお姉ちゃんと呼ぶTさんだ。
「ねえ、ブーツ間違ってない?」と電話で聞いたら、
「間違ってる〜」と一言。
履き心地が全然違うんだけどなぁ。私のはファスナーがついてて、Tさんのはついてないし、私にはゆるゆるなんだけど。
「間違えたの、私のでよかったねぇ」と言うと「ホント。後でギャ―ギャ―言われたら嫌だと思っていたんだ。じゃ、火曜日に履いていって交換ということで」
私はいつも白衣で仕事に行ってしまうのだが、火曜日は白衣では行けないなぁ。
白衣にブーツじゃ、椎名林檎になっちゃうよ。
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