| 2002年11月12日(火) |
おっさんに絡まれた翌日は父に絡まれました^^; |
イレウス(腸閉塞)で入院した父は絶食となり、精神科の薬を全く飲めない状態になってしまった。8月にはそろそろ退院を、という話も出ていたのに、と母のガッカリした様子を見るのが辛かった。
父は、薬が突然切れたことと、環境の変化で錯乱してしまい、ドレーンは抜く、点滴は抜く、一時も目を話せない状態になった。母は二日続けてほとんど寝ずに付き添った。母の疲れもピークに来ている。私は、交代するつもりが、駐車場事件でボロボロになり、その日は付き添う事ができなくなった。
翌日は私が付き添った。最初は、私がくしゃみをすると「風邪をひくからちゃんと着なさい」とか、まともな受け答えだったのだが、だんだん寝ないし、ドレーンを抜く回数が増えて、どうしようもなくなった。一時は引っ張り合い。いくら言葉で説明してもダメなので、抜かないように、必死で止めても、父の力は強かった。 結局抜かれてしまった。
4時半ぐらいから、いろんな話が始まる。
「まだみんな寝ているんだよ。もう少し寝ようね」と言っても、全く寝ない。
父「修三はどうしてる?」
私「(松岡修造なら知ってるけど)修三って誰?」
父「修三を知らないなんて話にならん」
私「(必死に考える)もしかして、ヨシさんのダンナさん?」
父「そうだ。修三は今どこにいる?」
私「どこだろうね。わかんないなぁ」
父「帰る!」
私「帰りたいの?八戸の家に帰りたい?」
父「日向(ひなた)」
私「ひなた?ああ、あれ『ひなた』って読むんだね。今まで『ひむかい』だと思ってた」
そこは父が育った家である。昔のことを思い出しているのかもしれない。
私「日向に帰りたいの?」
父「帰る」
私「元気になったら帰ろうね。それに、ここは埼玉だから簡単には帰れないよ」
父「歩いてもなんでも帰る」
私「歩いては帰れないなぁ」
父「それに、なんで埼玉にいるんだ」
私「お父さんが病気になっただけじゃなく、お母さんも倒れそうだったでしょ?だからこっちに呼んだんだよ」
父「おまえはいい事をしたと思っているかもしれないが、ありがた迷惑だ。なんてことをしてくれたんだ。バカヤロウ。何の権利があってこっちに連れて来たんだ。誰も頼んでもいないのに」
私「そうだね。でもね、二人で共倒れになるのはほっとけなかったんだよ」
父「小さい頃は、かわいい女の子だったのに、どうしてこんなにバカになってしまったのかなぁ」
私「・・・・・・」
父「おまえいくつになった?20か21か」←これにはちょっと笑いそうになった。
私「○○歳だよ」
父「もうそんなになったのか。とにかくいくつになっても関係ない。おまえにも誰にも、私の行動を制限する権利はないんだ」
そばにある、バッグの中に食べ物が入っているのを知っていて、開けて食べそうになる。
私は必死にそれを奪い「すみません。父が食べそうなんです。預かってください」と言い、ナースステーションに荷物を置いて、急いで病室に帰ると、父は点滴を抜き、血だらけになっている。
私「やられた〜」
父「こんなによごれてしまって」
私「(それはお父さんが点滴を抜くからでしょ?)」
ナースコールで看護婦を呼ぶ。
看護婦「Sさん、また点滴入れますよ」と言う。
ドレーンも点滴も、抜いても抜いても入れる看護婦達。きっと「また〜?」と思っているに違いない。夜の間、6回抜いたうち私は2回自分で入れちゃった。アハハ。
とにかく、そうやって父に朝まで絡まれどおし。病気のせいだと思えば許す事もできる。昨日の問題とは全く違うから。
母には全ては言えなかったが、「お父さんに絡まれちゃったよ」と少しだけ話した。 母は「ききに謝って」と言ったらしい。 翌日も夜は私が付き添ったのだが、
「昨日はゴメン。なんだかわけがわかんないうちに言ってしまったらしい。3人の子供の中で一番かわいいと思っているのになぁ。ごめんね」と父に言われた。 父に謝られるなんて初めてのことかもしれない。
「病気のせいだし、薬を飲んでいないせいだから大丈夫だよ」と私は言った。 次の日は2時と5時にトイレに起きただけで、父はよく眠った。二日間眠らなかったので、かなり眠かったのだろう。私も少しウトウトすることができた。
今日も母が付き添っている。胃カメラの結果、経過がいいということで今日の夜から少しずつ流動食が始まったらしい。
明日私は勤務だが、明後日が休みなので、母と代わって父に付き添いたいと思っている。本当は愛する奥さんにいて欲しいんだろうね。
こけももが言ってました。「やっぱり付き添ってもらうのは、二葉じゃなくてききがいいなぁ」って(笑)
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