2005年アメリカ 監督 ベネット・ミラー キャスト フィリップ・シーモア・ホフマン キャサリン・キーナー クリフトン・コリンズJr クリス・クーパー ブルース・グリーンウッド
「ティファニーで朝食を」 中学の時、このお洒落な題に惹かれて初めてカポーティの作品を読んだ。 でも日本の、しかもと〜〜っても田舎ものの私にティファニーはあまりにも程遠かったし、ホリーの魅力もよく分からなかった。 でもそれでもカポーティを読みつづけたのは、同じこの本に載せられていた「クリスマスの思い出」こちらがとても好きだったから。 おばちゃんとのクリスマスの思い出。フルーツケーキ、互いに贈るプレゼント。でもそれは暖かいだけじゃない、少しもの哀しく切ない。以来いろいろ読んでみたけれど、「冷血」ははっきり言ってビックリした作品だった。それまで読んだ作品とは全く違っていたから。
この映画は、彼がその「冷血」を書き上げた日々、ペリー・スミスとの日々。そして後々までおそらく一生忘れることがなかった日々を描いている。 作家としての興味からカンザスでの一家4人惨殺事件を取材するカポーティ。 一見してあまりにも個性的な容姿とその高い声。最初は関係者にも相手にされないカポーティが、その得意の話術でどんどんと取材を成功させていく様子に・・・う〜ん、なるほど成功者にはこれほどの自信が必要なんだ・・と興味深く見ていたのですが・・しだいに、はたして彼は語るほど自分に自信があるのだろうか・・・ニューヨークで人々の注目の中、常に自分の話しか語らない彼に・・もしかしたらそれは彼がまとう虚栄のようなものではないか・・などと思いはじめたりした。 ペリーとの出会いは・・そんな彼が見せたくない・負の部分を刺激し、同じような境遇に共感を感じとったのかもしれない。 「一緒に育ったが、ある日彼は家の裏口から出て行って私は表玄関から出た・・」この言葉はとても印象的だ。 ペリーに友達と呼ばれ、良心の呵責を感じながらも・・恋人の指摘するとおりまさに「自分のため」に彼を利用するカポーティ。それはまさに小説家としての、成功を約束されたものとしての「冷血」さで。
ペリーにも、カポーティにも同情するつもりはない。同情し、悲しむべきは罪もなく殺された4人の被害者に対してだから。 けれども・・独房で刑を待ち、自分を餌に小説を書くジャーナリストを友人と呼ぶペリーに。 そしてそんな彼を成功の種にし利用しつつも・・その不思議な魅力にとらわれて苦しみを覚えてしまう・・カポーティに。 なんだろう・・なんともいいがたい、やるせないものが重くのしかかってくるようで。
スミスを訪ねて語るカポーティと、ニューヨークで大勢の人々の中で常に注目を浴びて笑うカポーティ。 交差して描かれる、まるで光と影のようなカポーティの姿。やがて、そのどちらが光で影なのか。彼の小説で描かれる、どこか不思議で幻想的な世界はどちらのほうなのか・・。
小説を完成させるために「冷血」でありつづけようとしたカポーティが、ペリーの刑の確定を聞きほっとしながらも、実際に彼に別れを告げる時に見せる、あのうろたえぶり。彼の死を実際に見なければならなくなった・・あの衝撃。 シーモアのカポーティは最初から最後まで見事でしたけど、このシーンの演技は・・なんともいえないものがありましたね。 ペリー・スミスを演じたクリフトン・コリンズ・Jr、この方も静かな中に秘めたものを感じさせて不思議な魅力をもっていました。 でもそんな中で私が一番魅力的に感じたのはカポーティの幼馴染ネルを演じたキャサリン・キーナー。男勝りの、さばさばした気性。でもカポーティを心配して歯に衣着せぬ物言いをする彼女・・ぜひ「アラバマ物語」読んでみたいし、映画も見てみたいですね。
「冷血」もまた読み返してみたい。他の作品も。
パンフレットには、映画を見た萩尾望都さんの文章が載せられています。いいんですよ・・これがまた。何度も何度も読み返してしまいました。
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