| 2006年01月08日(日) |
「バッド・エデュケーション」 |
2005年スペイン 監督ペドロ・アルモドバル キャスト ガエル・ガルシア・ベルナル フェレ・マルチネス
映画監督エンリケのもとに、少年時代の友人イグナシオが訪ねてくる。面変わりしたイグナシオに疑問を抱くエンリケだが、彼の持参した小説は映画の材料を探していたエンリケにとってとても興味深いものだった。 はたして彼は本当にあのイグナシオなのだろうか・・そして二人の過ごした神学校でイグナシオを襲った出来事とは・・
幼いふたりが過ごす神学校での思い出。そして現在のふたり。そこにイグナシオの脚本を映像にしたシーンをからめて、3つのドラマが混在している。でも決して分かりにくいものではなくって、むしろ、それが交じり合って、ミステリアスな雰囲気を盛り上げていた。 神学校では、マノロ神父のイグナシオをみつめる視線に「この!教育者が何やっとん!」と腹立たしく思いながらもなんだか底知れぬ怖さも感じて。少年の、あの澄んだ歌声。「帰れソレントへ」と神父たちの前で歌うイグナシオを涙目で見つめるマノロ神父の表情が怖いほど印象的だった。
そして現在の二人。怪しみながらもイグナシオを名乗る青年(ガエル)との時間を過ごすエンリケ(フェレ)、プールサイドでの二人は、もう、どうしたらいいかしら・・と思うほどドキドキものだった。あのエンリケの視線。フェレ・マルニネスの目力にやられた〜〜。前髪ぱっつんも可愛らしく思えるほど良かったわ(笑) そして、ガエル君。あの白ブリーフ姿が〜目に焼きついてる〜〜(苦笑) 彼はもうどんな役をやっても惹きつけるよね。女装姿は予想ではもっと可愛らしい感じかなって思っていましたが、なかなかどうして動きが綺麗で色っぽい。ちょっと由美かおるさんに似てるような気がしましたよ。
後半は衝撃の告白と切ないラストに向かって進んでいくのですが、でもそこになんていうんでしょうか、それでも何かにしがみつこうとするような、そんな逞しさも感じたのです。 アルモドバル監督自身の半自伝的な物語だと聞いています。監督はきっとどうしてもこれを映画にしたかったのでしょうね。そんな情熱を感じました。エンディングに映されたエンリケのその後についての言葉。 書かれた「パッション」の文字に監督の気持ちを感じましたね。
男性同士の恋愛を描いた作品、そういうシーンもすごくリアルに映されていましたが不思議に嫌な感じはしなかったな。年老いたマノロ神父は・・ちょっと遠慮したいですが(汗) あぁ・・でも「トーク・トゥー・ハー」に続いてまたこの監督の作品を娘と二人観てしまったわ。ちょっと刺激がね・・(汗汗) 「トーク〜」のベニグノ、出てましたね。そしてレオノール・ワトリング、分かりませんでしたよ、見直すまで。
このあとネタバレ・・ありますので注意してくださいね。
本当のイグナシオの今の姿には、やっぱりショックを受けましたね。彼がああいう風になってしまったのは、やっぱりマノロ神父の影響があったのでしょうか。でも弟がまたマノロ神父とそういう風になっているのを観ても彼は全然動じませんでしたね。どうしてかしら?弟と彼との間にあるものは・・・ どうしてイグナシオを殺すまでしなければいけなかったのでしょう。彼が生きていると自分の思うように小説を映画化したり、自分が役をもらえないと思ったのでしょうか。 イグナシオが最後に書いた手紙の言葉は、切なかったですよね。更正したら、エンリケに会いにいこうとしたのでしょうか。その手紙を読んだ時のエンリケの表情も。 ふたりの少年時代の映像とだぶって、なんともいえない気持ちになりました。
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