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今日はばしゃばしゃと雨が降っていて、出かけたくなんてなかった。 しかもあの病院、あの街。厭になってくる。 だけど心のどこかでまたあえることも期待してる。・・・ばかばかしい。 あたしが最初に部屋を出て行かせるきっかけをつくったし、仕事だってもうやめた。 だから今さらあたしが何をいっても寝言のようなものだ。 はやく記憶のそとにほうり出さなきゃ。
あめの日はすきじゃない。 せっかく忘れかけてたこころのじくじくしたのがぶり返す。 なんで何もいってくれなかったのとか、そういった身勝手な言葉。 あの時あんなことしなきゃよかった、そういう後悔。 すべては過ぎ去りし日のことで、すでに終わった物語なのだから仕方がない。 そう自分に言い聞かせることでやっと安心してあの街も歩ける。
このあいだ図書館で本を借りた。 「なぜいつもあなたの恋愛はうまくいかないか」 ちょっとぐっときた。 そう、あたしはいつも自分から恋人契約みたいなものをだめにしてる。 わざとほかの人と寝てみたりとか、のめりこめばのめりこむほど訳のわからないことをしでかす。 すがってばかりいた。その言い訳でも代弁してくれてるような本だった。 しかし、だいぶ読んでみて、ぐったりもした。 それはアダルトチルドレンの恋愛に関する本だったのだけれど、自分に当てはまりすぎていてちょっと怖い。 自分の生まれ育った家庭がそんなにも異常だったとは驚いた。 決して正常ではないと感じてはいたけれど。 そういえば母親は常に二重のメッセージを送ってあたしたちを困惑させたし、 (世間体のために塾に通わせるけど金銭問題の愚痴をこぼすとか) 父親は飲んだくれで飲むと人格がコロコロ変わる。 (一回笑った顔した父親からビンタが飛んできたことがあったけど、あれは驚いた。) 兄もそうだ。 (怒っているのに怒りを言葉で表さないで八つ当たりしてくるとか) (もちろんあたしもヒステリーなのだろうが自分が感情的になってるときのことなんか解らないし知りようもない) 今どきだったらこういったのが標準なのかもしれないけど――振り返るといつも日本語が通じない国にでもいるような気持ちだったな。 今はいろんな人のおかげでだいぶそんなことを感じなくて済むようになった気がする。 (でもあたしだけ違う国の言葉でしゃべってたりするのかもしれない・・・)
アダルトチルドレンなんて言葉は結局私たちの親世代が子育て失敗の免罪符ちして使うんだろうなと思っていたけれど そんな忌み嫌ってた言葉の定義の中にいとも容易くすっぽり入ってしまうなんて思っても見なかった。 だけどあたしはこの言葉があるからって、もう、逃げたりしない。 誰のせいでもない。
あめふりでも一緒に笑ってくれるひとがたくさんできればいいな。
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