私の人生は、人との出会いと、多くの善意に支えられたものだと常日頃思っている。なぜ、この時にこの人に出会ったのだろう、なぜ、この時に、この人が助けてくれたのだろう。そんな出会い、そんな支援が数限りなく続いて、今の私がある。
初めて大田区の土地に降り立って、6畳一間のアパートをお借りしたことがきっかけで本当の親のように付き合ってきた、不動産屋のYAさん。初めての選挙。右も左もわからない時に、宣伝カーを作り、事務所用の紅白の横断幕を提供してくれたYKさん。回り中が自民党応援団の中、後援会長を引き受けて下さった地元商店会長のSさん。いずれも、すでに「この世」には、いない。
社団法人倫理研究所創始者である丸山敏雄氏は著書の中で死について以下のように述べている。
地上の人類が、知ると知らぬとにかかわりなく、時の古今、洋の東西、長幼をも、性別をも超えて、公平に課せられる命題。そして、のがれることも、延ばすことも許されず、必ず果たさねばならぬ責任。それは必ず一度であり、再び出あうことのない、最もむずかしい、しかし又最も易い事件。
さっきまで「生きていた」人が、「死」をもって「生体」としての活動を停止してしまう。はたして、「あの世」があるのかどうか、誰もしらないのだ。特に親しい人の「死」は、なんとも悲しく、すぐさま受け入れることができない。
そして、今日、また新たな別れの場面に立ち会った。妻の父、義父が89歳の生涯を閉じた。私と正反対で几帳面な義父には、生前、度々叱られたが、厳しさの中にも優しさをもっていた。父を10歳で亡くし、母とも離れていた私に「私たちが親だと思いなさい」と、結婚の当時に言ってくれたのもこの義父と義母だった。
経営していた会社が、同時多発テロの影響で資金不足に陥り、潰れかかった時、義父が私に内緒で資金援助を妻にしてくれていたことは、大分後になってから知った。
また、一人恩を受けた人が「あの世」へ旅立ってしまった。米寿のお祝いの席で撮影した遺影の義父は「いぬぶし君、頑張らければ駄目じゃないか」と、厳しく語っているようだった。
ありがとう、お義父さん。ご冥福を祈る。
****なお、葬儀については妻と実家の意向もあり家族のみで執り行いました。皆様にご通知を差し上げなかったことにつき、お許しをいただきたいと思います。****
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