いぬぶし秀一の激辛活動日誌

2012年08月15日(水) 様々な想いの終戦記念日

 今日は終戦記念日。さきの大戦が終結して67年の年月が経過した。そして、相変わらずこの日になると、不毛な議論が始まる。「首相は参拝するのか」「閣僚は私的か公的参拝か」

 こんな間抜けな国が世界中で日本以外あるだろうか。国家のために命を賭した方々に後世の為政者が敬意と礼を尽くすことは、国際常識である。あおのバカ宰相だった官直人にいたっても、米国アーリントン墓地に花を捧げたではないか。なぜ、国内でできないのか!


 クソ真面目で、つまらない人生を送っているであろう岡田副総理は「A級戦犯が合祀されているからいかない」とのたまう。無知である。A級戦犯については、数度の国会決議により、名誉は回復されその死亡は公務死として、年金も支給されているのだ。このことについて正しい記載をしている「赤旗」の記事を見つけたので転載する。

(以下平成16年12月1日赤旗より)

〈問い〉『文芸春秋』12月号の座談会で中西輝政氏が“昭和28年の国会で、戦犯の名誉回復が全会一致で決議された。A級戦犯の靖国合祀も基本的にはこの決議の延長線上にある”といっています。これは本当ですか? 日本共産党も賛成したのですか?(大阪・一読者)

〈答え〉サンフランシスコ平和条約調印のあと国会では戦争犯罪問題に関する論戦がさかんにおこなわれました。その特徴は、侵略戦争への反省はほとんどみられず、逆に戦争犯罪は、国内法による犯罪ではないから「前科」とはならない、戦争犯罪人は「国の犠牲者」「愛国者」であるといった論議でした。戦犯釈放要請決議も繰り返しおこなわれました。((1)52年6月9日、参院本会議(2)52年6月12日、衆院本会議(3)52年12月9日、衆院本会議(4)53年8月3日、衆院本会議(5)55年7月19日、衆院本会議)

これらは、自由党、改進党、両派社会党共同提案といったように日本共産党と労農党を除き、社会党もふくめておこなわれました。(中略)

中西氏が言う「昭和28年(53年)」当時、日本共産党は国会の会派がありませんでした。ですから、このときの国会決議が全会一致といっても日本共産党はふくまれません。(衆院議員は一人で「小会派クラブ」に属しており、クラブの個々の議員の態度の記録はありません)

 したがって、岡田副総理や一部「知ったかぶりの議員」の「A級戦犯合祀説」は、その論拠を失っているのだ。間抜けな連中である。私はと言えば、昭和47年以来、日本にいれば詣でているので、今年も例年通り参拝した。

 そして、連年通り参拝した方々を沢山お見受けした。わが、たちあがれ日本、平沼赳夫代表、西村真悟前代議士、石原慎太郎都知事。今年のエポックは、松原仁国家公安委員長であろう。彼は、昨年も一昨年も参拝していた。ただ、今年は「大臣」に就任されたので、その去就が注目されていたが、「いつもどおり」参拝された。

 ただ、国務大臣とは記帳せずに「臣 松原仁」と書かれたようである。国務大臣と書いて何が問題だ、と思うが、彼の立場なりのせいいっぱいの記名の仕方だったのだろう。素晴らしいとしよう。

 さて、靖国神社を早々に引き揚げ、大田区に戻った。毎年恒例の「全区議会議員主催」の平和祈念コンサートが行われるからだ。この収益金の一部が「九条の会」に関わっている人物が理事長の会に寄付されること、議員が議会活動以外で「体育会系」のサークル活動のような事などすべきでない、との二点の思いから、毎年「全議員主催」から、私だけはずしてくれ、と頼んでいるのだが…


 このコンサートのパンフレットの協賛広告主には、実に多彩な方々が並んでいる。この不況の時代に、ご協賛ありがとう!(嫌味じゃないよ)
















 < 過去  INDEX  未来 >


いぬぶし秀一 [MAIL] [HOMEPAGE]
 
↑今日の日記は気に入りましたか?
My追加