いぬぶし秀一の激辛活動日誌

2012年01月31日(火) 今日は海軍主計少佐犬伏寛男の命日

 私の父親には3名の兄と1名の姉がいた。現在存命は姉、つまり私の伯母だけだ。その兄のうちの一人が英霊として靖国神社に祀られている。

 犬伏寛男海軍主計少佐、昭和19年1月31日東南洋海上の靖国丸にて戦死と祭神記(靖国神社発行)には記されている。

 ひょうんなことから、この御祭神を私がお預かりすることになったのだ。10年ほど前だったろうか、地元の戦没者遺族会の方から「どなたか戦没者はいないか。会のメンバーになって欲しい」とのお話があった。

 父が存命中の小学生の頃、よく戦死した伯父の話は聞いていた。そこで、唯一の直系の遺族である伯母に電話をした。「伯父さんの戦死日と場所を教えてください」すると伯母が答えた。「今日よ!」と。

 たまたまかもしれないが、伯父の命日に、命日を尋ねたのだった。不思議なことは、ここから始まった。遺族会に入れて頂くと「直系の遺族に弔慰金が出るよ」と教えていただいた。

 国債40万円分だそうだ。さっそく伯母に電話をした。「伯母さん、伯父さんの弔慰金が40万円出るそうです。手続きは私がやりますから」すると、電話口の伯母が号泣をはじめたのだ。

 この兄寛男が学徒出陣(短期現役5期生)する時に見送る妹である伯母にこう言ったそうだ。

「治子(伯母)、待ってろよ。戦争が終わったら化粧品を買って帰ってくるからな」

 そして、その約束は叶わず60年近くが過ぎた。

 「兄が、約束を果たしてくれた」と伯母は泣きながら喜ぶのだった。伯父から約束を果たすための使命を帯びた私は不思議な働きに感謝と驚きを感じたのだ。

 そして、この英霊は私がお祀りしようと思ったのだ。そこで靖国神社から祭神記をお預かりし、水道橋にある東京都戦没者慰霊堂に伯父のお位牌を作ってお納めした。


 29歳で敵潜水艦により戦死した見たこともない伯父に今日も護られていることを感じている。生きていれば楽しいことも沢山あったろうに、どんな伯父だったのだろうか。残念ながら伯母のもとにも写真が残っていない。

 寛男伯父のご冥福を祈る。




 


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