| 2005年11月06日(日) |
何かに出会うということ |
日曜日夜10時からフジテレビで放送されているニュースワイドショー、 「スタ☆メン」で、爆笑問題の太田光が、精神科医の名越康文と、あの タリウムによる母親毒殺未遂事件について、討論をしていた。 もっとも、今現在容疑者の女子高生が否認をしている以上、母親殺人 未遂事件という言い方も、正しくはないのかもしれないが。
この番組の中で、大田光と名越康文が言っていた事をちゃんと録画した わけではないので、不正確な記述になってしまうが、その中で太田光が 言っていたことがとても印象に残ったのである。
一つには、私たちは彼女が書いたものとされるブログの内容や、また その中でイギリスの毒殺犯に彼女が傾倒していった事を取り上げて、 だからインターネットは危険なんだ、とか彼女が犯行に至った(とされ る)理由について、心の闇と称して、簡単でわかりやすい物語として 抽出しようとするけれど、それは間違っているのではないのか、という 事。
そして、もう一つの方がより、印象に残ったんだけど、 彼女や、同様の犯行を行なってしまう人(その中には連続放火犯のNHK 職員も含まれると思うが)に対して、あなたたちのやっている事はそん なに特別で偉いことではなく、レベルの低い事なんだ、とわからせて あげないといけないのだ、そしてもっと違った芸術に出会えなかった 事が、彼女にとっての不幸だったのではないのか、という発言だった。
この発言を聞いて、でも、うん、そうかもなあと思ったのである。 その正確なニュアンスはもしかしたら違うのかもしれないけれど。
彼らに対してよく言われるのは、犯行動機として自己顕示欲が原因なの だ、と言う意見が聞かれることもあるし、個人的には必ずしもそれだけ が原因だとは思わないのだけれど、もしも、そういう1面が彼らの心に あったのだとしたら、それが建設的な方向に向かえば、確かに問題は なかった訳で。
名越康文が言っていたことで、もしも彼女が犯人だったとして、彼女 位化学の知識がある人なら、例えば薬の開発とか、人工心臓の発明と いう方向にその知識を生かそうと思う人もいれば、逆にその知識を使っ て、人の命を奪ってみたいと思う人もいる。そして、人の命を奪って しまうことの方が、実は簡単なのだ、という事を言っていた。
そうして、人の命を自分で簡単に扱えることで、全能感を味わえる人も いるのかもしれないが、それは太田光に言わせれば、レベルが低いとい う事な訳で。
この話を聞いていて思い出したのは、ジョンレノン殺人犯の事だった。 確か彼はジョンレノンを殺すことで、自分が歴史に名を残すと考えて (妄想して)、ジョンレノン殺害に至ったんじゃなかったっけ?(もし かすると違うかもしれない)。
確かに彼の名は、事件当時は大々的に報道されたのだろうし、また、 ジョンレノンの生涯を語るとき、彼の名前は記録としては残るのかも しれない。 でも、私はジョンレノンの名前や彼の作品は知っていても、その殺人犯 の名前まで記憶に残そうとは思わない。
また、ジョンレノンの作品の価値というのものは、その殺人犯に殺害 されたからといって、何か特別な価値が加わる訳でもない。 むしろ、彼が死んだことで、その後ビートルズの再結成話が流れて しまったり、彼の新たな作品ができなくなってしまったことの方を 残念に思う気持ちの方が強い。
果たして、件の女子高生が、本当にそういう理由で、劇薬であるタリウ ムを扱っていたのかは私は知らない。 でももしも彼女が、そういうイギリスの殺人犯だけでなく、他の事にも 美的感覚を持っていたとしたら、こういう事件は起きなかったのかも、 しれない。
それはもちろん、他人が強制するものではない。 そうではなく、もしも彼女がそういう美意識を持つことができたので あれば、彼女の人生は、もっと違ったものになったのかもしれないなあ と思ったのである。
そしてその意見は、高校時代友達がおらず、学校ではほとんど口を開か なかったとされる太田光の口から聞かれるからこそ、私にとっては 説得力のある意見として心に響いてきたのかもしれない。 おそらくはその間、太田光は落語や黒沢映画や、様々なものに出会って これたからこそ、今の彼があるのだろうし。
なんかうまくはまとまらないのだが、そんな事を考えた日曜の夜だった。
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