パラダイムチェンジ

2005年06月19日(日) 59番目のプロポーズ

今回は読書?ネタ。取り上げるのは「59番目のプロポーズ」
この話、実はソーシャルネットワークサービス(SNS)のmixi(ミクシイ)
のある日記を元にして出版された本で、実は私もmixiにはご厚意で参加
しているものの、ちっとも活動してない(失礼)ので、この日記の存在は
つい最近まで知らずにいたのである。

それをお友達のブログで知り、本が出版されたのを手に取り、パラパラ
と立ち読みをしてみて、あ、これ面白いかも、と思って飛びついた訳で
ある。

多分、近い内にAERAあたりで、この物語を題材にして「やっぱりキャリ
ア系女子はオタク男性を狙うべし」なんて特集記事が組まれたり、
それと対照的にSPAや週刊プレイボーイなどの男性雑誌では、巨乳の
セックス中毒のキャリア系女子を狙うにはオタクでいけ」とか、
「そうはいっても難しいオタク男子とキャリア系女子の恋愛の真実」
なんて特集まで組まれたら面白いんだけど。

物語は、モテ系キャリアウーマンの彼女が、とあるバーで、非モテ系
オタクの男性「59番」と出会い、そして恋に落ちていく話、と書くと、
まるでネット発な所といい「電車男」の二番煎じのように聞こえるかも
しれないが、はっきりいって「電車男」よりこっちの方がはるかに
面白い。

「電車男」の場合、そもそもその物語が実話ではなくフィクションで
あるという「一杯のかけそば」みたいな説がまことしやかに流布され、
もうすでに定着しているきらいはあるが、個人的に電車男に私が惹か
れたのは、ご本人たちの恋物語ではなく、それをとりまく周囲の人たち
の反応である。
皆で一生懸命、電車男の恋の行方を応援している姿に、俺だったらどう
レスするんだろうなあ、と感情移入できたので、楽しめたというか。

それに対して、私がこの話に惹かれたのは、多分彼らに自分自身の姿が
投影できてしまうから、なのかもしれない。

そう、今からほんの十年前まで、私は59番のような非モテ系オタク青年
(早すぎた雑学系)だったからである(自爆)。
だから、59番が、モテるという事に対して拒否反応を示す気持ちもよく
わかるし、また彼の恋愛に対する不器用さに対しては、まるで過去の
自分(今もか?)を見ているようで微笑ましいと思うのである。

ただし、その一方で私の場合、彼のように一途に非モテ系男子の道を
ひた走ったわけではなく、その後やっぱりモテたい、という方向に
転向して今に至る。

だからモテるということについてマーケティング的観点で語るこの物語
の主人公、アルテイシアさんの気持ちもよくわかる気がする。

でもね、この物語、いわゆるオタク青年とキャリア系女子の組み合わせ
の恋だから面白いわけではない、と思うのである。
それは、アルテイシアさんと、59番さんの組み合わせだからこそ、この
物語は面白いのであって。

だって、確かに見た目はモテモテ系キャリア女性(しかも巨乳←オイ)
と、非モテ系オタク青年(しかも服装はごつい身体なのに肩パット)
と、大きな違いはあるけれど、多分二人の底流に流れるものは、とても
近いものがあるんじゃないかな、と思うわけで。

たとえば、アルテイシアさんは自分がモテる理由について、自分が
巨乳であること、そして自分の職業病として、相手に合わせるのが得意
であることを挙げ、そして逆に59番がモテない理由について、服装が
ダサいこと、そして恋愛経験が乏しいが故に、相手との空気が読めず、
気の利いた行動がとれないことを挙げている。

でも、それってその人の本質を表わしているというよりは、単なる記号
であると思うのだ。
それはたとえば孔雀が求愛行動の時に拡げる羽根と同じく、確かにその
記号に華やかさがなければ、その人はなかなかモテないと思う。
だから今はモテる、ということが雑誌でも注目されているけれど、
その話のほとんどは、記号論に終始しているような気がする。

それは私にとっても、あてはまることであり。まあ、そんなに無茶苦茶
モテた経験はないものの、10年前、ほとんど非モテ系だったオタク青年
は、その後、モテるための記号をそこそこ身につけることに成功した
おかげで自分がモテないなんてことに悩むことはなくなったのである。

でもね、逆にいうとモテるという記号を身につけてモテる様になったと
しても、それはどこか薄っぺらい気がどうしてもしてしまうんだよね。

自分という人間の中身は、モテなかった頃とモテる様になった時とそん
なに大差はないのに、この反応の違いは結局取りつくろっている自分の
外見(外面のよさ)にみんな吸い寄せられているだけなんじゃねえの?
なんて思ってしまうわけですね。

だからしばしのモテ期を過ぎた今、そんなにモテたわけでもないのに、
今はもう「別にモテモテになんかならなくてもいいや」なんて気に
なっているのであり。それよりは自分の好きな相手に対してモテれば
いいや、なんて思うわけである。
え?お前の場合、そんな事いっているから益々縁が遠いんだって?

でも、この物語のアルテイシアさんの場合も、結局は59番さんが自分の
外面の記号にだけ引き寄せられたんじゃない、ただセックスだけが目当
てじゃない、と思えたからこそ、彼に惹かれたんだろうし。
それと今まで自分の外面に無頓着だった(過ぎた)59番さんは、皮を
一枚めくった無意識の世界では、とても近いところを流れているんじゃ
ないのかな、と思うのである。

それはアルテイシアさんが相手の行動を面白がれる、という所にも
現れていると思う。
もしも、これがお互いに全くの接点を持たないカップルだったら、
多分何も起こらずにすれ違って終わっていると思う。

でも、恋愛関係が盛り上がっていく時って、この人と一緒にいると
飽きないというか、どこか楽しいというか、何かが起こるんじゃない
か、なんて予感というか気配が段々と高まっていったりするんだよね。

そしてそれは何も、表面上の記号であるとか、相手の条件のよさ、
という意識上の問題で決まるわけではなく、むしろ無意識的に、自分で
は気づかない条件によって決まるような気がするのだ。

でももしもそういう感性に乏しかったり、またあくまで条件面を優先
する限り、その人にそういう瞬間は起こらない。
でも、お互いその感性に従った場合、ふいに恋愛感情が巻き起こる、
というケミストリー(化学反応)が起こるんじゃないのかな、なんて
思うのである。

そしてこの物語の場合、実際にそういう、化学反応が起きた瞬間を、
フィクションでなく目の当たりにできることが、読む人たちに感動を
与えるんじゃないのかな、なんて思うんである。

でも、個人的に容姿はどうあれ(っていうか知らないので)この59番
さんは、人間として男として、かなり格好いいと思うんだけど。
アルテイシアさんと59番さん、どうぞ末永くお幸せに。


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