パラダイムチェンジ

2005年05月09日(月) 茂木健一郎トーク&サイン会

5月9日、仕事が終わった後、茂木健一郎のトーク&サイン会に行って
きた。
著書「脳と創造性」の販促イベントである。

その内容については氏のBlogに音声ファイルとしてアップされている
ので、興味のある方は参照していただくとして。
もしかすると、私の間の抜けた質問の声も収録されているのかもしれ
ない。あ、ちなみに一番最後に質問した人ではないので念のため。

45分間のトークショーの中から一つだけ、特に興味のひかれた箇所を
ひくと、より創造的な生き方をするにはどうしたらいいのか、という
部分である。

これはあくまで、私の理解したと思った範囲内の話だが、
情報は一度、脳の無意識下にある記憶領域におさめられ、それがある
時、フッと意識上に浮かび上がってきた時に創造性を発揮する。
これは内田樹が時々書いている 、作家村上春樹の発想のたとえとして
出す「うなぎ」と同様なのかもしれない。

そしてそのような創造性を発揮しやすくなる条件として、茂木健一郎は
二つの条件をあげる。
一つは、無意識下のアーカイブをたがやす、ということ。
そしてもう一つは感覚を大切にする、ということである。

この内の、「感覚を大切にする」ということについては、
たとえば、我々一般人は、赤というと、ある一定の色を思い浮かべがち
であるが、芸術家にとって赤とは、無限の「赤」という色が存在し、
それぞれの赤色の違いがわかるのだ、という。

すなわち、そこまで感覚を細かく分割できるか、ということであり、
これまた内田樹や甲野善紀が述べるところの「身体を分割する」という
ことと同じ事なのかもしれない。

もう一つの「無意識下のアーカイブをたがやす」ということについて
は、まだ「脳と創造性」は最後まで読んでないので、養老孟司との
共著、「スルメを見てイカがわかるか」 から引用してみる。


言葉が無意識から発せられるものである以上、言葉を磨くということは
すなわち、無意識を磨くこと、無意識をたがやすということである。
日常に接する言葉、自らが発する言葉が脳の中で不断に編集され、整理
される無意識のプロセスに働きかけて、その無意識のプロセスを磨いて
いくことである。時々手入れをしてあげて、あとは脳の中の無意識とい
う自然のプロセスを信頼して任せるということである。

言葉は、人間の意識と深く結びついていることは事実である。しかし、
言葉を磨くためには、意識を通して、無意識にこそ働きかけていかなけ
ればならないのである。

ともすれば、意識的にコントロールできると思いがちの多くのことが、
実は長い人生の経験の中で無意識のうちに蓄積、編集された脳の神経
細胞の結びつきのパターン=記憶に支えられて生み出されているので
ある。

私たちにできることは、大切な自分の無意識を手入れしてあげること
だけである。
無意識を手入れすることこそが、よい人生を送るための要諦であると
いってもよい。

自分の無意識を手入れするということは、奇妙に聞こえるが自分自身を
あたかも他人であるかのように扱うということでもある。

友人とのつきあいや、子育て、職場での人間関係、さまざまな場面を
通じて、私たちは他人というものが自分の思うようにはならないことを
思い知らされている。
様々なつきあいの場面を通して、他人という自分にとっては把握できな
いものに「手入れ」して、何らかの変化が生じることを期待することし
かできない。



という感じで、私にとっては非常に面白い、というか私なりに腑に落ち
た気になったのである。

ただし、そこから判断するに、私の英語力があまり格段の進歩を遂げて
いないように思えるのは、私のアーカイブのたがやし方が悪いのか、
まだまだ英語の感覚に対する分割が甘いのか、それともそもそも、
英語に対する私のクオリア(感覚質)が足りないせいなのか、なんて
考えてみたり。
うーん、どうなんだろ?


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harry [MAIL] [HOMEPAGE]

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