パラダイムチェンジ

2003年05月16日(金) 有事関連三法案

有事関連三法案が、与野党の賛成多数で衆院を通過した。

昨年は一度廃案になった法案が今回通過した背景には、良くも悪くも
北朝鮮に対する脅威といったものが関係しているのかもしれない。

法案の細かい内容をちゃんと見ているわけではないので、いささか無責任
な発言になってしまうけれど、これで、日本もようやく有事となった際、
―日本の場合は専守防衛の原則だから、相手に攻め込まれた場合という
意味だが―、ようやく自衛隊もあわてふためくことなく、防衛出動がで
きるようになったってことかもしれない。

もしも、これら一連の法案がなかった場合に、今回有事と想定される事
態になったとしたら一体どうなるのだろうか。
その事態を想像するのは難しいことだけど、似たような事態はかつての
日本でも実はあったのだ。

それは太平洋戦争末期、いよいよアメリカ軍が本土上陸するかもしれな
いと言われていた時期。
その時、学徒出陣で戦車隊の隊長として栃木県佐野市にいた司馬遼太郎
が、こんなことを書いている。


 私事をいうと、私は、ソ連の参戦が早ければ、その当時、満州とよばれた
中国東北地方の国境の野で、ソ連製の徹甲弾で串刺しにされて死んでいた
はずである。その後、日本にもどり、連隊とともに東京の北方に駐屯して
いた。
もし、アメリカ軍が関東地方の沿岸に上陸してくれば、銀座のビルのわき
か九十九里浜か厚木あたりで、燃えあがる自分の戦車の中で骨になってい
たにちがいない。そういう最期はいつも想像していた。

 あの当時、いざというとき、私どもが南下する道路の道幅は、二車線で
しかなかった。その状況下では、東京方面から北関東へ避難すべく北へた
どる国民やかれらの大八車で道という道がごったがえすにちがいない。
かれらをひき殺さないかぎりどういう作戦行動もとれないのである。さら
には、そうなる前に、軍人よりもさきに市民たちが敵の砲火のために死ぬ
はずだった。
何のための軍人だろうと思った。

(司馬遼太郎著 『この国のかたち(1)』


私の記憶が正しければ、この「ひき殺すしかない」というくだりは、確か
司馬遼太郎が、上司である指揮官に訊ねた時に、その指揮官がしばらく
黙った後に返答した答えだったと思う。

実際には、そんな悲劇が沖縄に続いて繰り返される前に、「映画が終わる
ように」敗戦の日を迎えたため、幸い?そういう事態にはならなかった。

このエピソードが語っているものは、いざそういう事態になった時には、
法律があったとしても、戦争行動―相手の戦闘力を圧倒すること―の前に
は、国民の生命と安全が必ずしも保証されるわけではないということだと
思う。
だけど、もしもそういう状況への対処法が、まったく想定されていなかっ
たり、法として明文化されていなかった場合、いざという時に同じ悲劇が
繰り返されるかもしれないし、そうでなくても、指揮系統が混乱し、せっ
かく買った豊富な兵器があっても右往左往しているうちに全滅してしまい、
税金の大きな無駄遣いに終わってしまう可能性だってあるわけだ。

まあ、今でも、アメリカ軍なしには単独の軍事行動はまともには取れない
軍事力であったり、専守防衛の割にクラスター爆弾持ってたり、色々と
無駄遣いな一面はあると思うんだけど。


ただ、ここではっきりさせなくちゃいけないのは、
有事の際の自衛隊の行動が認められた=いつでも日本は戦争に突入しま
すよ、という話ではないんじゃないかな、と言うこと。

日本のメディアはどうしても左翼系の人たちと同様、一気に、想像力を
エスカレートしがちな気がする。
それは、普段有事という事態を意識の外において意識しないで、というか
考えないようにしてきたからこそ、想像力の方向が「バカの壁」よろしく
そんな方向にしか進まないのかもしれないけれど。

私自身は別に右翼であるわけではないし、好戦的な人間でもない。
ただ、現実的な問題として捉える必要があるんじゃないかな、と思うのだ。

今から10年前、自衛隊の海外派遣を認めるPKO法というのが成立した。
国会でも当時の社会党やら公明党が、反対をして紛糾した挙句、自衛隊は
海外派遣しても、身を守れるかどうかもわからない、わずかな小火器しか
持っていけなくなったし、そして自分から勝手に反撃しちゃいけないという、
いざと言う時の自分達の命さえ守れるかどうかわからない、行動を縛られた
状態で、当時はまだ紛争地帯だったカンボジアに派遣されていった。

で、そんな法律で海外に派遣された自衛隊は一体どうしたのか。
ちゃんと、その法律解釈を遵守して、任務を全うしたのである。
その背景としては、そんな扱いにくい軍隊だったから、後方支援活動中心
の活動ではあったらしいけれど。
でも、当時の現地指揮官は、万が一の事態になった時には、死を覚悟して
いたと言う。

一部の?左翼系の人の話って、例えば自衛隊の存在を許したら、一気に
日本は軍事国家へとまい進してしまうと考えがちなんだと思うけど、
当の自衛隊は、そのデリケートな問題?に合わせて、今のところはちゃんと
文民統制されていると思うのだ。

また、実際この有事三法案ができたと言っても、いざ本土決戦なんて
ことになった日には、いかにこの国の好戦的な人たちが気持ちを高ぶらせ
ようとも、国民の被害が甚大な物になるのは目に見えているわけで。

だから、実際の政治、外交の舞台では、いかにこの有事三法案を使わない
で済むように事態をおさめるか、が重要になってくると思うのだ。
すなわち、いかにこの劇薬にもなりかねないものをいかに上手に取り扱い
コントロールできるかと言う手腕とそのための今後の議論が大切なん
じゃないのかな。

伝家の宝刀はいざという時がこないからこそ、伝家の宝刀としての価値が
あるんだろうと思うし。
なんて考え方をしてしまうのは果たして楽観的すぎるんだろうか。

ついでに言ってしまえば、今回民放連が有事の際には政府のお先は担ぎま
せんよ、と申し入れをしていたけど、いざ、そういう事態になった時には
我先にと争って、皆横並びで一斉に政府の広告塔になってしまうんじゃ
ないのかなあ?と思うのはうがちすぎだろうか。


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