パラダイムチェンジ

2002年12月15日(日) リーダーシップ

さて、今回も政治つながり。小泉首相に果たしてリーダーシップは
期待できるのか?という話。

結論から言ってしまえば、残念ながら小泉首相のリーダーシップは
もはや期待はできないと思う。いかに彼が決断力に富む政治家で
あったとしても。

なぜか?
答えは簡単。誰も彼の言うことを聞かなくなってしまったから。
特に国を動かす与党と官僚の方たちが。

この話を対比する上で興味深いのは、日産を見事4年で回復させた
カルロスゴーン社長のことである。
一体、ゴーン社長と小泉首相の何が決定的に違っていたのか?
自分が考える理由は、組織にいる人たちの危機意識、だろう。

99年の頃、日産はまさに倒産の危機に瀕していた。あのまま
だったらかつての日本第2位の自動車メーカーは、いまや跡形も
なかったはずだ。

その危機意識の強かった、当時の塙社長が行った決断。
それはルノーと提携し、ゴーン氏を経営者として迎えること。
そして自らを含めた旧経営陣が、一切手を引くことである。

何故なら、新たな経営者の知恵を迎えても、船頭が多ければ船は
やはり山に登ってしまうから。

リバイバルという名のリストラと、更なる下請け会社からの材料代を
切り詰めさせるという、痛みを与えつつも、その一方で成果があがった
事に関しては、飴を与えてきた、ゴーン氏の手腕もすごいとは思う。

しかしながら、日産がV字回復を遂げた理由。それはゴーン氏の経営の
才能もさることながら、彼の経営戦略に従ってきた日産の組織の力も
大きかったと思う。

すなわち、どんなにそれが正しいことでも、人間自分が痛むことに
対してはどこかおよび腰になってしまうのが普通であると思うから。
しかしそのおかげで、信じるものは救われたわけである。

ひるがえって日本政府を考えてみる。
いくら小泉首相が痛みを伴う改革を断行しようとしても、抵抗勢力と
いう名の有力議員や、官僚さんたちが、頑張ってしまう限り、彼の
成し遂げようとする、改革は遅々として進まない。

もしくは改革が進んでも、彼らの利権構造は決して変わらず、守られ
てしまう。日本もそろそろ相当な危機意識を持たなければならない
時期になっているのに。

つまりはどれだけ決断力のあるリーダーが頂点に座ろうとも、その
リーダーシップをちゃんと受け止め、実行する組織がなければ、
この国のシステムは変わらないって事である。

それは、何も日本政府に限った話ではない。いわゆるメガバンクと
言われる銀行の経営陣に関しても同じだろう。ただ単に合併して、
経営陣が倍に増えただけでは、船頭の数が多すぎて、やはり何も
変わらない。

竹中ショックといわれる、銀行の国有化。すなわち自分たちの首が
危うくなって初めて危機意識を持ってしまう愚かしさ。
まあ、人間なんてもともとそんなものなのかもしれないが。

ここであえて話を横に飛ばすと、メガバンクが国有化され、そして
その後外資に安い値段で買い叩かれることは果たして悪いこと
なんだろうか?

日本国民の持つ資産を、日本の企業が管理するかどうかって問題なん
じゃないのかな?もちろん、日本の国の銀行が、外資だけになって
しまったら、それは異常事態だけど、たとえばイギリスにしたって
米資本に参入されて、それで全てが無くなってしまった訳ではない
だろうし。

国民にとって、それが健全性のある金融システムの確立になるなら
それもひとつの選択肢だと思う。あくまで一つの選択肢だけど。
この辺に関しては、いろんな識者の意見を聞いてみたいところだ。

それよりも問題なのは、船頭が多すぎて誰もちゃんと責任をとろうと
しないシステムが、国の中央でどっかり腰を下ろしている事だろう。

戦後50年以上に渡って、政権交代が起こらなかったこのツケの代償。
本当に何とかしてほしいと思う限りである。

どっかで国民全員が、ええじゃないかでも踊り出さないかなあ。
ダメダメボーイズでも、別にいいけど。


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harry [MAIL] [HOMEPAGE]

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