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| 2004年08月27日(金) |
1歳8ヶ月22日目:一生の棘 |
実は、この日記を書くことが辛くて、しばらく更新が止まっていました。 わたしなりに気持ちの整理がついたので、載せることにします。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 午前中、仕事をしていると産院OG会スタッフ仲間のIさんより、前駆陣痛が始まったとメールが来ました。 Iさんは第二子を妊娠中で、予定日はそろそろなのです。 前駆陣痛が来たということは、本当に出産の時期が近いということ。 何だか久し振りの明るいニュースで、心が温かくなりました。
ところが。 病院の課長クラスや庶務が慌ただしくウチの課長室に出入りしています。 ウチの課は筆頭課で、全体の総括をしているため、何か事件があったのだろうと見当を付けました。 何が起こっているのか気になりましたが、こういうことが下々まで伝わるには時間が掛かります。 情報が漏れてくるまで、しばらく待つことにしました。
すると、信じられないというか、考えもしなかった事態が、起きていたのです。
Fさんが、今朝、亡くなったというのです。 Fさんは、以前ウチの課の補佐をやっていた方で、今は病院のトップです。 一時は外の機関へ異動していたのですが、余人を持って代え難し、と呼び戻されたようです。 補佐時代にはわたしの結婚式に来てもらったり、とにかく人柄が良く、誰にでも好かれる方で、当時のわたしはこんな人の下で働けて幸せだなぁ・・・と思ったものでした。 だから病院へ戻ってきた時には、場所は離れていますがまた同じ職場で働けるのだと、さらに、今回の勤務で定年退職になるため、最後の送り出しも出来るのだと、喜んでいたのです。 それが、異動してから1ヶ月を少し過ぎたところでの死。 死因が何なのか、とても気になりました。
実は、Fさんの前前任も在職中に亡くなられています。 死因は過労。 単身赴任で職場内の社宅に住んでいたのですが、出勤してこないのを不審に思った庶務の人たちにより発見されました。 Fさんも、単身赴任で社宅に住んでいます。 また、今回もいつもの出勤時間に出社してこないのを不審に思い、家の電話や携帯にかけても繋がらず、不審に思って社宅へ様子を見に行った庶務によって発見されたそうです。 Fさんも過労で・・・?もしくは脳梗塞とか・・・?と考えを巡らし、そして知った事実は、思っても見なかったことでした。
首つりによる、自殺。
まさか!と思いました。 いくら考えても、信じられませんでした。 強盗が押し入って、首を括られたのでは?とまで思いました。 でも、考えてみると思い当たることがあったのです。
昨日、病院のトップ3がバタバタとウチの課長に報告に上がっていました。 病院では色々な難しい問題が起きており、その対応で忙しいということは聞いていたので、それに関することだろうと察しはつきました。 いつも温厚なFさんにしては珍しく、険しい顔。やつれたような、疲れたような、そんな顔をしていました。 ストレスは相当なものだろうと思い、心配になって「どうしたんですか?今度飲みに行きましょうよ!」と声をかけようか、迷いました。 でも、こんなにピリピリしている時に、逆に邪魔になるかもしれない・・・と遠慮して声をかけなかったのです。
後悔しました。 とてもとても、後悔しました。
どうしてあの時、わたしは声をかけなかったのでしょう。 昨日は生きていて、そして傍にいた人なのに、今日はもういない。 わたしが声をかけていたら、些細なことだけれどリラックスして、精神的に追いつめられることはなかったかもしれない。 もしかして、助けられたのかもしれない。
そう思うと、責めて責めて責めて責めて、自分を責めずにはいられませんでした。 正気で仕事をすることが出来ず、トイレに駆け込んでは溢れ出る涙を拭きました。
昨夜、病院のトップ3でビールを飲んでいたそうです。 その時も、変わった様子は無かったとのこと。 また、Fさんは毎朝北海道の家族へ電話をするのが日課になっており、今朝も電話をしていたそうです。 その時も、変わった様子は見受けられなかったとのこと。
Fさんの死亡推定時刻は7:30。
そんなに、職場に行きたくなかったのでしょうか。 どうしてみんな、助けられなかったのでしょう。 どうして、どうして?と疑問符ばかりが頭の中を飛び交います。
救急隊を呼びはしたものの、すでに死亡していたため搬送してもらえず、病院の職員でストレッチャーを使って霊安室へ安置したそうです。 午後になって、上の人から順番にお焼香に行くことになりました。 わたし達の番になり、同僚と共に霊安室へ向かいました。 手を合わせてお顔を拝見させていただくと、首を吊ったとは思えないほど穏やかな顔をしていました。 首には痛々しく包帯が巻かれている以外は、何も変わりがありません。
あまりにも穏やかな顔を見て、悟りました。 Fさんは、本当に本当に辛かったのだ。 その辛さから解放されて、だから、今は心穏やかなのだ、幸せなのだ。 昨日の険しい顔を見ているからこそ、そう思いました。 逆に、死に平安を求めるほど追いつめられてしまったFさんのことを思うと辛くてたまらず、霊安室でしばらく泣きました。 Fさんには、わたしと同い年の娘さんがいます。 わたしを見ると娘さんを思い出すのか、よく娘さんの話を聞きました。 その娘さんや、奥さん・・・Fさんの家族の悲しみを思うと、そこまで追いつめてしまったわたし達の職場に対するやるせなさを感じます。 そしてFさんとの思い出が次々と頭に浮かび、今日は本当に仕事になりませんでした。
家族の方は、いま飛行機でこちらに向かっているとのこと。 明日わたしはおじいちゃん(お義父さんのこと)の七七日と納骨があり、今夜から長野へ帰省します。 もしこちらで葬儀を行うとしても、出席することは叶いません。 せめて電報やお香典を頼みたいと思い、係長や同僚に詳細が決まったら連絡をくれるよう、お願いしました。 帰宅前に再度、お焼香をさせていただきました。 多分これが最後のお別れになる、そんな予感がしていたので、頭を撫でさせてもらいました。 「Fさん、今までありがとうございました。さようなら。」 そう、小さく呟いて、霊安室を後にしました。
帰宅してから、今度は長野へ出発です。 おじじ・おばばも出席するため、今回は1台の車で帰省することにしました。 途中でえみこくんも拾っていきます。 えみこくんと合流すると、えみこくんはすぐにわたしの様子がおかしいことに気付いたようです。 パパが説明してくれ、優しいえみこくんはわたしを気遣い、そっとしておいてくれました。 今回のことは一生、わたしの中で棘となって残るでしょう。 だけど、無理に抜こうとは思いません。 その棘と一生一緒に生きていこう。そう思います。
長野へ着くと、おばあちゃん・ひいおばあちゃんが布団を敷いて待っていてくれました。 なっちゅんには2歳用の本がプレゼントとして用意されていて、早速ひいおばあちゃんがなっちゅんに読んでくれていました。 良かったね、なっちゅん。
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