きりんの脱臼
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2003年01月24日(金) 黒瀬珂瀾

桃色のキャンディー・バーは公園の砂場に突き刺して 逃げろ、未来へ   村上きわみ

「ほら、あの血しぶきを見てごらん。」
あなたがそう言ったので、わたしは初めてサムソンの目から噴き出している真っ赤な
血に気が付いた。まだ人の少ない美術館の午前、レンブラントの大作「目を潰される
サムソン」の前にわたしたち二人はしばらくの時間を過ごした。「あのかすかな血し
ぶきで、レンブラントはきっと時間を表現しているんだ。時間を一瞬に閉じ込めてし
まう絵画の中で、あの紅く噴き出す血の数滴が時間の動きを見せつけているんだ。こ
の一瞬のなかに永遠があるんだ。一瞬のうちの出来事を焼き付けていながら、サムソ
ンは永遠に目を潰され続けるんだ。」

 わたしは今日、故郷に帰る。この都市で過ごした十年は決して短い時間ではなかっ
た。そして、そのなかであなたと一緒にいた時間もまた短いものではなかった。で
も、永遠に一緒にいられるわけはない。この街とも、あなたとも今日でお別れだ。そ
の別れの前のしばらくの時間を過ごす場所を、あなたは美術館と決めた。あなたらし
いやり方だと思う。そして、そのあなたらしいやり方にわたしはついに身をゆだねる
事が出来なかった。
 美術館を巡りながら、わたしはサムソンの潰され続ける目のことを思った。あの目
は潰されてからどうなったのだろう。そのままサムソンの頭蓋のなかに埋もれていた
のだろうか。それとも、目を潰した刃物によって抉り出されたのだろうか。

 ・・・・・・<小便をする>という言葉から何を連想するかと尋ねてみると、<え
ぐり出すこと>と答えるのだった、剃刀で眼玉を、なにか赤いものを、太陽を。じゃ
玉子からは何? 仔牛の眼玉。・・・・・・

 わたしはバタイユの『眼球譚』の一節を思い出していた。抉り出された眼玉はきっ
と、棒の先についた砂糖菓子のように甘美なものなのだろう。そう、わたしは最後ま
であなたに、あの『眼球譚』の少女のように叫ぶ事が出来なかった。

 「いますぐあの眼玉をわたしにちょうだい!」

 わたしが帰るところにどんな未来があるのかはわからない。そもそも未来なんかあ
るのかもわからない。ただ逃げているだけなのだといわれればそうかもしれない。
 あなたにとってわたしは一瞬だったのか、それとも永遠だったのか。それすらもわ
からない。美術館の出口に向かうあなたを見つめながら、わたしはその背中に何一つ
抉り出すべきものを見出せなかった。


わかものの瞳の夜に太陽は昇りつめをりつかみがたしも   黒瀬珂瀾


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