Spilt Pieces
2004年10月13日(水) 
色んな人が、色んなことを感じ、色んな生き方をしている。
その全てを知ることはできない。
私には想像もつかないような苦労をしている人がたくさんいる。
私には想像もつかない努力をしている人がたくさんいる。
知らない一面を知る度、世界の広さと自分の小ささに気付かされる。
でも、相手と接するとき、見つめるのはいつだって過去でも未来でもなく現在だ。
今ここにある現実だ。
苦労をしたからといって、そこから何も得ていない人間には魅力を感じない。
経歴ではなく、ただ、今相手から自然とにじみ出ている人柄に魅かれるのだ。


苦手な人・反面教師だと思う人。
卑屈な人。
フォローを求めているのか、自分を下げて満足しているのかは知らないが、付き合うに面倒。
学びたい面があったとしても、一緒にいると疲れるので、できることなら近付きたくない。
むしろ我儘な人や自信過剰な人の方がマシ。

自慢話をする人。
特にあからさまな自慢ではない、遠回しの圧力的な(言葉だけ聞いていると一見控え目な人に見えるときさえあるのでタチが悪い)話し方をする人。
おそらく性質が嫌み。

自分の恵まれない環境を羅列することを好み、同情を欲する人。
そういう人は多くの場合他人の痛みには鈍感。
人と接する際、いちいち自分の境遇を語ることから始める。
別に聞きたくないのだが。
看板を首から下げて歩いた方が早いんじゃないか?
同情によって得たものでさえ満足できるのだとしたら、負けず嫌いの私としては少し羨ましいくらい。

人を裏切るとか騙すとかいった、人間としての常識に欠ける人は問題外なのでこの際言及しない。
諦めているので大して腹も立たない。
近付かなければいい話。
ただ、身近にいる、ぱっと見『いい人』な人間の場合、友達になれなくても付き合わざるを得ないケースが往々にしてあるのでうんざりする。
同時に、自分が似たようなことをしていないか、怖くなる。
反面教師だと。
人のフリ見て我がフリ直せとはよく言ったもの。
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