| Spilt Pieces |
| 2003年12月28日(日) 境 |
| 文章を書くときに音楽が鳴っていると集中できない。 思わずいつものように電源をオフにしてしまいそうになった。 伸びかけた腕が、ふとダビング中であることを思い出す。 音量を絞って、一段落。 どのボタンを押すかなんて、一瞬の判断。 ほんの少しだけ面倒くさいことになるかもしれない。 そうならないかもしれない。 今日は一番風呂。 入浴剤が入っていない。 ようやく築6年目になった我が家のバスタブ。 微かに古くなった水色が、湯の奥で揺れる。 いつの間にか髪が肩まで伸びた。 荒れやすいので、入浴剤入りのときは水面につかないよう気を遣う。 が、一番乗りなので今日は関係がない。 膝を丸めて髪を泳がせた。 曖昧であることが好きだ。 そして無駄な現実主義的考えを捨てたくなる。 だが、この身体にある輪郭は、ただの線じゃない。 消しゴムをこすったところでなくならない。 だから私は私で、今キーボードを叩いている。 曖昧は、不可能だからこその憧れなんだろうか。 電源ボタンを押したなら、ダビングはやり直し。 大袈裟な表現だと承知した上で。 押すか押さないかが、即ちその後の行動を決めてしまう。 そこには、原因と結果が明らか。 何がどこにどう起因しているのかなんて、人生でIFを言えないのと同様に、断言できることではないけれど。 それでも時折、何となく、境界線が見える。 多くの形や、物や、生命のように。 湯の中、髪がゆらりと広がっていく。 中と外、身体と顔。 そういえばいつだって、顔は水の上。 『死にたくないもの。当たり前』 だけど、ふと、輪郭や境界を消してしまいたくなった。 分かってる、無駄な抵抗なのだ。 それでも敢えて、と、私は頭まですっぽり潜ってみる。 自分が息をしていること以外、何も分からなかったけれど。 私が私であること。 君が君であること。 あなたがあなたであること。 あの人があの人であること。 どこにどんな境界線があるんだろう。 世の中は、いつだって分からないことだらけだ。 鼻に水が入った。 一番風呂でよかった、と思った。 |
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