| Spilt Pieces |
| 2003年08月27日(水) 意思表示 |
| かれこれ一週間近く前のことになる。 高校の頃からの友人と久し振りに会った。 彼女は私のサイトアドレスを知っている。 オフの友人に教えてしまうと本音が書けなくなるのではないかと思っていたし、だから開設してからしばらくはあまり教えようとはしなかった。 でも、今さら見栄を張りたい相手でもないのならそんなに影響がないことに気がついて、どんな自分を見せたとしても誤解しないでいてくれるだろうと思える人には教えてしまった。 私は、基本的に自分の内面を「分かられたくない」という願望がある。 それと同時に、傍にいる人には全ての面を含めての自分を「分かってほしい」という願望もある。 これら二つは、ひどく矛盾している。 自分でもどうしたいのかいまいち分からない。 それでも、相反する願望が同時にあるというのは別に嘘じゃない。 だから、サイトに書いていることは虚ではないが全てでもない。 「影響がない」と表現したのは、そういうこと。 いつも、考える速度が遅い。 そのため言葉をまとめるのは難しいし、苦手だ。 文章ならまだ、少し考える時間を持つことができるからマシだとは思う。 だが、直接会って何かを語ろうとしても、いつだってうまく言葉にならない。 「あー」とか「うん」とか「そうだね」とか。 いつだって曖昧に答えてばかりで、その上途中で相手の目を見なくなったりもするから、印象が違うのは仕方のないことだと思った。 自分にさえ分からない自分の本音を、口に出して表現しようというのがそもそもの間違いなんだろうか。 「ネット上とは随分違うね」 そう言われて、何だか不思議な感じがした。 それと同時に、納得もした。 二年ぶりくらいに会ったというのに、話したのは日常の他愛もないたくさんのこと。 高校の頃、受験勉強をサボって一緒にベランダで喋っていたことを思い出した。 もう戻ってこない時間。 だけど、ああいう時間を過ごせたことは私の財産。 今まで会っていなかったことが不自然なくらいの、「昨日の続き」のような会話。 ついつい口にはしてしまうけれど、変わったとか変わらないとか、本当はそんなことどうでもいいのだと思う。 きっと何十年という時間を空けてから会ったとしても、やはり同じ調子で話せるのかもしれない。 そう思える実感が、すごく嬉しい。 普通の会話をする中に、ふとサイトに関する話が出てきた。 嫌かと尋ねられたが、そうでもないと答えた。 気恥ずかしくはあっても、教えた以上何もないことにするのもおかしいと思いながら。 とは言っても、私のサイトというよりはインターネットに関することが多かったような気がしなくもない。 多分その方が私にとっても楽だったからかもしれない。 意思表示についての話。 私が出した話題だが、例えば「no war」といった表示について。 サイトの表には出していないが、私もはっきりとした反戦ではないにしても、一つウェブ上の同盟に参加している。 参加、とはいっても、バナーを貼るだけのもの。 共感できたから仲間に入りたいと思った。 それでも、どうしてだろう、自分だってそういうのに加わっているくせに、「no war」と大きく表示することには微妙な抵抗感を持ってしまう。 表示している人に対して何らかの感情を持っているというわけではない。 ただ、私には表示できないという意味での抵抗感。 部屋のパソコンの前にいて、htmlを書き換えればすぐに終わる・終わってしまう意思表示。 仮に自分の心が変わったとしても、そのままにしておきさえすればそれは自分の考えであると見なされる。 戦争に反対する気持ちは、私だって強く持っている。 経験はないけれど、二度と起こってはならないことだと、時折考えては意味もなく涙が出る。 それでも、表示できない。 自分には、自分の考えにどれほどの責任を持つことができるのか、正直言って自信がない。 やはり揺らぎやすい自分自身に問題があるのだろうか。 何万人もの人がプレートを持って行進を続けても、結局のところ権力には勝てないのかと、先のイラク戦争が始まる前、テレビを眺めながら悲しくなっていた。 そして、そう思うばかりで実際には何の行動をも起こせない自分。 意思表示は大切なことだ。 沈黙するばかりでは何も伝わらない。 だけど、多分、私は、意思を示すことよりも行動することの方が難しく、大変だということにも気づいている。 自分はこう考えているのだと示し、示すことに満足して、そこから先行動を起こせなくなるのではないか。 私は臆病で、そしてあまり器用じゃないんだろう。 同時にいくつものことを考えるなんて、難しい。 言葉で偉そうなことを言うだけならば、誰にだってできる。 悩んでばかりの私にだって、容易なこと。 全ての感情を誤魔化しさえすれば、必要なことなど特にない。 だからこそ、考えすぎてしまう。 「気軽に」「何となく」主張なんてできない。 そうじゃない人がたくさんいることだって、知っている。 自分にできることをやろうとしている人たちがたくさんいるのだと、それくらい分かっているつもり。 それでも、ゴチャゴチャ考えすぎてしまう私は、いまいちうまく動けない。 考え方などそのときによって異なってくるし、人との出会いで揺れることも多くある。 だから、間違っていると気づいたときに「間違っていた」と表現するのは弱さではないと思う。 そう思うのに。 久々に会い、楽しく語らっていたはずで。 当時からややこしい話をしたりしていた私たちは、相変わらずなのかもしれない。 本人は否定するかもしれないが、難しい言葉を用いることなく深い話をする彼女のことを、私は尊敬している。 というかそもそも、何らかの尊敬できる部分がないのであれば、薄情者な私は自分から連絡を取ろうとも思わない。 食事をしながら前でウダウダと呟いている私に、彼女は真剣な表情で、だけど割とあっけらかんとした口調で言った。 「それでも、意思表示に意味がないとは私は思わないよ」 頭の固そうな、自分自身苦手な真面目ぶった内容の話であっても、彼女は快く聞いてくれる。 そういう人がいるということを知って、「語る」ことを怖がらなくなったのはいつ頃だったろう。 お互いに、マメではない。 だからそうちょくちょく会うわけでもない。 だけど、大切な人だと思っている。 これを読んでいるのかは知らない、気まぐれな人だから。 もしも読んだとしても、気恥ずかしいのでスルーしておいてほしい。 ああでもきっと、彼女のことだから敢えて言うまでもないのだろうな。 |
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