Spilt Pieces
2003年07月02日(水)  他人
ニュースステーションを見ていた。
森元総理の問題発言が取り上げられていた。
彼はどうしていつもああやって子どもじみた話題の集め方をするのだろう。
自分の立場を考えたら、あのような言葉がどれだけ大きな意味を持つのか分かるはず。
ほんの少しでも他人の心情を慮れる人ならば、ありえない発言。
あまりの配慮のなさに、怒りというよりむしろ失望。
言いたいことをはっきり言ってくれる政治家なら歓迎だが、考えなしでただ発言するだけの人は必要ない。
どれだけ多くの人を傷つけたのか、少しは考えて欲しい。


大学低学年の頃、医学部で他学部向けに開講されている講義に出たことがある。
そのとき、不妊の人は夫婦10組中1組いるらしいと聞いた。
10%の人は、子どもが欲しくてもできない。
それなのに、子どもを産まない女性には社会的保障をしなくてよいなどとよく言える。
投書にもあったことだが、そもそも女性にだけその重荷を課すのがおかしい。
彼の理論で言うなら、子どもが欲しくてもできない夫婦や、結婚していない男性にも社会保障しないことになる。
古い上に失礼で、個人の事情など全く考慮なし。
あれで一時とはいえ日本のトップが務まったのだから、不思議なもの。


ほとんどが反対意見だった。
また、テレビの構成を見ていても、局が反対意見を推しているのだと分かる。
街頭インタビューで得たどっちつかずの意見さえ、反対意見に分類して放送していた。
賛成の人の気持ちも、伝わってくる。
欲しくてできない人ばかりではなく、遊んでいて子どもをいらないと言っている人がいるのも事実。
だけど、そんなのどこで境界線を引いたらいいのだろう。
それこそ感情のレベルにまで踏み込まないと分からない。
踏み込んでも分からないかもしれない。
個人的な感想としては、誰かを懲らしめる方向ではなくて、誰かを守る方向で制度を議論して欲しいと願う。
考え方が甘いだけなんだろうか。
確かに、悪意のある人に出会うと守りたいという気持ちも薄れるかもしれない。
でも、そういう人たちの巻き添えをくらって、しっかり生きている人たちまで苦しめられるのはどうなんだろうと思う。
単純に、そんな国好きじゃない。


「さとは結婚する?」
以前友人と話していたらそう聞かれた。
「今のところ分からないな」
「じゃあしないかもしれないの?」
「結婚したい人がいればするけど、いなければ無理にしたいとは思わないし」
「子どもは欲しくないの?」
「欲しいけど…、だからって何とも思ってない人と愛情のない生活をして日々を過ごすのは、私には耐えられなさそうだから。ほら、私根性なしだもん」
そこまで聞いて友人は、「あなたらしい」と言って笑った。
彼女は言葉を続ける。
「私は、絶対にするよ」
「好きな人いなくても?」
「とりあえず家庭欲しいからね。そんなに嫌じゃなければ誰でもいいや」
「仕事は?」
「しなくてもよさそうなら、辞めると思うよ」
「そんな生活耐えられるの?」
「頑張る…多分。でも離婚するかも」
価値観や考え方って色々なのだな、と思う。


森元総理の発言は、結局他人事だから出てきたものなのだろうか。
少なくとも、欲しくても子どものできない人ではないと推測することができてしまう。
子どもが欲しいから結婚すると断言した友人は、もし子どもができなかったらどう思うだろう。
欲しくてたまらないのに、それを罪であると責め立てられたならどれほど心が痛くなることだろう。
結果が全てか。
彼が言うには、国というまとまりは、多様な個性を包み込めるものではないらしい。
考えなしにもほどがある。
そんな人がトップに立てる国であるがゆえの発言だろうか。
無力。
批判は容易だが、結局私の声は彼に届かない。
万が一彼の発言を弁護するような法律が制定されたとしても、何もできない。
口先ばかりだ。


未来は、どんな絵を描いているか。
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