Spilt Pieces
2003年05月08日(木)  終
幸せだと感じるとき、素直に幸せだと思えない自分がいる。
世の中に、終わらないものなどないと思うから。
悲しいことに、私は妙なところでばかり想像力が働いてしまう。
終わりのことばかり考えていては、何も先へは進まないのに。
基本的には前向きだが、時には後ろ向きにもなる。
少なくとも私は、大吉というおみくじが大嫌い。


例えば、恋愛。
好きな人がいて、その人を想っている間はいい。
ほんのちょっとしたことでも幸せを感じて、笑う。
それが、叶わないとなった途端、一番残酷な記憶に変わる。
笑って聴いていた曲を聴くたびに泣きたくなる。
そんな時期が、私にもあった。
もう何年前のことかは忘れたけれど。


極端な話、だけど実に現実的な話。
死の問題がそうなのだろうなと思う。
上に挙げた例など、ほんの些細なこと。
時間と共に、もしくは新しい想いが紡がれるようになれば、風化していくもの。
早い話、代用がきく可能性がある。
それでも、死に分かたれてしまったならどうにもならない。
大切な人が増えるたびに、怖いことが増えていく。
だからといって、出会わなければよかったなどとは思いたくない。
そこで、どうすれば怖いことと向き合っていけばいいか、と考える。


縁起でもない、と怒られてしまいそうだが、私は大抵の場合何かが起きたとき最悪のことを考える。
本気で考えているというよりも、無理やりそう考えるよう自分を仕向けているといった方が正確だ。
悲しいことしか考えられないとき、とりあえず笑おうとするのと逆のこと。
楽観主義の私が、最悪のことを考えるというのはなかなか難しいが、それでも敢えてする。
大学の友人が言っていた。
「終わりのある幸せより、終わりのある不幸の方がいい」
きっと、私の癖のようになった悲しい思い込みも、これと同じような願いから。
それに、いつも「今が最悪」と考えた方が、努力のしがいもあるというもの。
上を見るための方法ともいえようか。


私は、しばしばネガティブな曲を好んで聴く。
以前後輩にそれを指摘された。
そのとき、笑って「好きなんだから仕方がないでしょう」と言った。
理由を敢えて挙げるとするなら、一応ある。
悲しいときは、とことん落ち込んでから立ち直る方が無理がなくていい。
楽しいときは、浮かれて知らぬ間に誰かを傷つけるのが怖いから自分を抑える。
共感を求めているというより、きっと、水の上に浮かんでいるよりも潜って泳ぐ方が好きだからなのだろうと思う。
耳に直に触れる水の音を聴いていたいというのか。
いまいち、表現がうまくできないけれど。


お風呂に一番乗りだったこの日、数年ぶりに顔を水に沈めて目を開けてみた。
ぼやけた視界の先に、水色の浴槽が見えるだけだった。
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