2002年01月29日(火)  行ってみたいなあの国へ(お題提供:池女さん)
19の頃(20の頃だったような気もするけど)、
朝起きて、衝動的に荷物を小さなバッグに詰めて、学校と反対方向の駅へ向かったことがあった。
 
朝起きて、衝動的に「どこか遠くに行こう」と思った。
どうして寝起きでそういうことを考えたのか今でもよくわからないけれど、
それは夢の延長だったのかもしれないし、現実からの逃避行動だったのかもしれない。
 
熊本に行こうと思った。
福岡は少し遠すぎるし、宮崎は少し近すぎるような気がした。
学校を黙って休んだという後ろめたさも手伝って、
衝動的な行動のわりにはいつでも帰ってこれる無難な道を進もうと思った。
 
「敬慕(けいぼ)峠」という駅で降りた。目的があって降りたわけじゃないし、
これから先、目的が見つかるというわけでもない。
「敬慕峠」という名前に惹かれたわけでもなかった。
 
「敬慕峠」からバスに乗った。僕の地元のバスと整理券の取り方が少し違ったので
最初戸惑ったけれど、僕と一緒に乗った義眼のお爺さんが丁寧に教えてくれた。
 
バスの中でその丁寧な義眼のお爺さんと話をした。
幼い頃、斗米(とまい)岬で友達と昼寝をしていたら、ヒックル鳥に片目をつつかれた話。
満州で戦争中、弾が無くなって、最後に義眼を詰めて発砲した話。
この路線のバスは一日に2回しか運行しないという話。
 
どれが役に立って、どれが役に立たない話かわからなかったけれど、
僕はこのお爺さんの片目を食べてしまったヒックル鳥のことがとても気になった。
 
その夜は神切橋(かみきりはし)という、石造りの小さな橋のすぐ近くにある安宿に泊まった。
明日は学校の試験の日だったような気もするけど、ヒックル鳥に比べたら、
それは小さな問題だった。
 
翌朝、宿のお婆さんにヒックル鳥について聞いてみた。
お婆さんは一瞬、おもむろに嫌な顔をしたが、すぐに穏やかな表情に戻り
斗米岬に住んでいるヒックル鳥について話をしてくれた。
 
その話の最後に「私の娘も片目を食べられてしまってね」と言った。
 
僕はお婆さんの最後の言葉に、怖地気ついてしまって、斗米岬には行かなかったのだけど、
あれから数年経って、今でもヒックル鳥は誰かの片目を食べているのだろうか。と思うときがある。
 
今、斗米岬に行ったら、僕の片目も、ヒックル鳥は食べてくれるのだろうか。
と思うときがある。

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