2002年01月13日(日)  たんす貯金と歪チンゲール(お題提供:aiyaさん)
学生の頃は、やれ看護の基本だ、やれ奉仕の精神だと、
無理矢理、高尚な考えを詰め込まれていたような気がするけど、
現場に出て何年か経って、
 
学生の頃、朝8時30分から夕方4時まで黒板に向かったり、
実習室でダッチワイフのような人形に話し掛けたりしていたことは、
果たしてどの程度役に立っていたのかなあ、と思うことがある。
 
実際、僕は学校嫌いだったので、朝8時30分に学校に行くことはまずなかったし、
ダッチワイフのような人形には艶っぽい格好をさせて、
ナイチンゲ―ルの化身のような先生にいつまでも粘着的に怒られたりしていたのだけど。
 
そういうことを抜きにしてでも――そういうことが重要だったのかもしれないけど――
学校で学んだ看護は、今の僕のどういう部分に糧となって生きているのだろうかと思うときがある。
 
いくら同じクラスの優等生が「理想的な看護とはこういうべきである云々!」
と壇上で叫んでいたとしても、僕はいつも「そうですかそれは結構」と
いつまでも窓の外のツバメやらスズメやらトンボやらを眺めていた。
 
なんだか、こういうのは、少し違う。と思っていた。
 
優等生と劣等性の違いこそあるにすれ――それって決定的な違いなんだけど――
それはどう転んでも同じ年という事実には逆らえないわけで、
所詮、ハタチ前後の人間の人間性の成熟度の差異なんて
アマガエルとヒキガエルの差くらいしかないのだ。
 
看護とは知識や技術ではなく、人間性の成熟度である。
 
「これはね、私はね、学校ではね、云々だと学びました」
なんていつまでも一般社会へ学校のあるかないかの権威を振りかざしている人がいるけど、
どう転んでもハタチ前後の人間の考えなんて、知識に頼らざるを得ないわけで、
 
ベテラン看護婦には、勝てないと思う。柿は熟してこそ美味しいのだ。
 
「ちょっと待ってね、えっと・・・これはたしか学校で習ったのよね。そうそうテストにも出たのよ」
「それはね、こういうことよ」
 
知識を遠いところへしまうより、身近なところから素早く引き出す。
ベテラン看護婦と僕達のような青い看護婦とは、ここが違うのだ。
 
銀行に預けた通帳からしか確認できない知識と、
日常に密接したタンスから素早く引き出す知識。
 
しかし僕達はまだ、たんす貯金の素晴らしさ、大切さを気付くことはできない。

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