2001年10月31日(水)  好きな工具はニッパです。
この世に存在する数ある工具の中でもニッパほど僕を魅了するものはない。
そして数あるニッパの中でもスイス製ケイオージーユー社のニッパが特に優れている。
 
しかし一般社会のニッパへの愛着や認知度は思いのほか低い。
1980年以降に生まれた世代などはニッパという言葉さえ知らない。
今の若い世代は、あの熱狂的であり、ある種の宗教的な意味合いさえ持った
1976年のニッパブームを知らないのだ。
僕達は仕事が終わるとすぐ油まみれの手を洗う手間させ惜しんで
行きつけのディスコへ駆け込み、夜な夜な腰を降り、ニッパを降り回していた。
 
ちなみに1990年代に一世を風靡したジュリアナ東京の扇子を降りまわすダンスは
僕達の時代のニッパが扇子に持ち替えられたに過ぎない。
 
ニッパブーム当時、スイス製ケイオージーユー社のニッパは僕達の憧れの的だった。
ハンサムやブサイク関係なくそのスイス製のニッパを持つものは、
ある意味無条件で女性をホテルに連れこむことができた。
スイス製ケイオージーユー社のニッパはモテる男のステータスであった。
 
しかし、朝から晩まで働いてようやく3食食べれる程度の収入しかなかった僕達は
スイス製のそのニッパを手にする事など不可能だった。毎晩ディスコに通うことでさえままならなかった。
だから僕達は金メッキのレプリカを持ち歩いた。
勘のいい女の子はすぐにレプリカだと指摘して僕達を冷笑した。
頭からビールをかけられてホテルのドアを思いきり閉めて出て行かれたことだってあった。
 
当時の僕達は結婚よりも出世よりもスイス製のニッパを何よりも望んでいた。
 
時は経ち
 
2001年。当時のニッパブームを知るものも少なくなってきた。
あの頃のディスコ仲間も皆、家庭を持ち、部長になり、一軒家を持ち、中年特有の匂いを発するようになった。
僕も決して例外ではなく、愛する妻を持ち、何よりも大切な子供たちを授かり、
小さいけれど印刷屋を開業し、少ないけれど従業員を持つようになった。
 
だけど、僕はこの歳になってもスイス製ケイオージーユー社のニッパをベルトにはさんで持ち歩いている。
古い友達はこのニッパを見てフッと笑うけれど、
 
あの頃、喉から手が出るほど欲しかったこのニッパを、
青春の象徴を、
この歳になりようやく手に入れた。

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