2001年05月18日(金)  道化論。
昨日は、なんだか、つまらない日記を書いてしまって、恐縮の至りであるわけだが、
僕は毎日、笑顔で、気の効いた洒落を言いながら、元気で生きているのであります。
それが道化の道というものです。

道化の内面は悲壮感漂うというのがお決まりのようで、時々、このような暗い話を書いたりするのです。
もしかしてこのような悲壮感も自分で作っているのではないかしら。
以前も書いたけれど、悲しくなるから涙を流すのではなく、涙を流すから悲しくなるのです。
自分の置かれた状況に、それなりのセッティングをするのです。

なんだかすごく悲しいぞ→今の私に何が必要だろうか→海だ、海、悲しくなったらとりあえず海だ、
夕日を眺めながら涙を流すんだ。なんて悲壮感漂うシュチエーションなんでしょう
→友達誘おうかしら→いや、一人で行ったほうが悲哀倍増だね→よし、今から海へ行って一丁悲しんでみるか。

このメカニズムです。しかし、このような行動をするのは、あまりよろしくない傾向です。
無理をしてでも隣の声が聞こえないくらいの喧騒な居酒屋に行ったほうが体に良いでしょう。

こんなことばっかり言ってるから偏屈と言われるのでしょうか。
ああ。僕は偏屈だ。偏屈と思ったら思う存分偏屈と言えばいい。偏屈は偏屈なりの哲学があるんだ。
僕はこれからもこのスタンスを崩すつもりはない。断じてない。あるはずがない。僕はこう見えて結構頑固なんだ。
昭和生まれだ。高度経済成長を生きぬいて来たんだ。偏屈と思ったら思う存分偏屈と言えばいいさ。

嘘。全部嘘。人は一人では生きていけないのです。一人で道化を演じても見る人がいないと、
それはただの道化なのです。

結局道化じゃん。

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