a hermitage

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2013年07月16日(火) 入院〜手術〜退院〜

7月も半ば、
チビタが手術してから、
もう1ヶ月も経つんだ!って、びっくりしています。

前回ちらっと書いたけれど、
顎変形症(所謂受け口)のチビタは、
上2本、下の生えていない親知らず2本の合計4本抜歯後
約2年間の術前矯正を経て、
6月18日、
無事骨切り手術を終えました。



17日のお昼に入院。
のんびりと過ごすのかと思っていたら、
あれこれと検査が有ったり、
とっかえひっかえ色んな係の先生の診察や説明が有ったりで
全部終わったのは21時くらいになってたと思う。

すっごくたくさんの書類に署名した。



手術は12時からの予定で、
朝の6時から絶食。
晩御飯を最後に食べずにお昼まではキツイから
何か食べておくなら
早朝に看護師さんが起こしてくれてくれると言う。

わざわざ起きて食べるのもね〜・・
と思いながら
軽く食べられる菓子パンを用意して
起こしてもらうかどうかは本人に任せておいた。
結果、
起こしてもらって食べておいたらしい。

手術当日、
私が朝行った時(9時くらいかな?)には
「検温で起こされた・・・」と
眠そうにうつらうつらしていた。

緊張で眠れないのでは?と思っていたけれど
案外平気そうな様子。
実際のところはわからないけど。

前夜
「ちょっとコワイ・・・」と言うから
「チビタがあんなに頑張っても頑張っても受からなかった大学に受かちゃって
 そこで6年も勉強して、
 国家資格も取ってるメッチャ賢い先生たちが手術するんだよ?
 全然大丈夫だよ!」
なんて話をしたけど。



術衣に着替えて待っていると
12時前に看護師さんが呼びに来た。

手術室までは歩き。
ストレッチャーに乗せられて
手を握って「頑張ってね」と言うのを想像していたけれど
ぜんぜん違った。

淡々と前を歩いていく看護師さん
「あの・・私も付いて行っていいんですよね・・?」
「あ、いいですよ」

手術室の前で
(『手術中』のランプの付いた『手術室』ではなくて
 そのもうひとつ前の入り口)
「お母さんはここまでです、
 チビタクン、中で受付して下さい」

あっさりバイバイ。。。

あ、入院した時に、名前とバーコードのリストバンドを付けられてるんだけど、
手術前夜の診察時に、先生から
「手術室で聞かれるから書いとくね」と
チビタの手のひらには、
マジックででかでかと手術名が書かれていた。


手術中、何をして待っていたのか
全然記憶にない。
呼び出しが有るかもしれないから
病室か食堂で待っているようにいわれたけれど
6時間も一人で何をしていたんだろう。。。



手術が終わってICUでチビタを見て腰が抜けて、
麻酔で眠っているはずのチビタが目をカッとあけて起き上がって暴れ出して
看護師さん2人がかりで押さえつけて
前日署名した「こんな時は縛りますよ、もしかしたら骨が折れるかもしれないですよ」の同意書の確認をされて
チビタの手足はベッドに縛り付けられた。
そして、ちょっと麻酔を強くして、
再びチビタは眠りだした。


顔は腫れあがり、
その周りをギプスで覆っている状態だけど、
チビタの顎は、明らかにスッキリと別人になっていた。

上あごを3ミリ前に出し
下あごを11ミリ引っ込める、
そんなことを、外側にはいっさい傷をつけずに
口の中からやってしまうなんて
すごいワザだと感心する。


手術翌日の午後、目覚めたチビタは思ったより元気。
動かさずに寝ていれば痛みも無いようで
(痛みどめの注射や点滴がされているんだろうけど)
テレビを観ながら
筆談用のボードを手にピースしている。

そのボードに書いて見せてきた言葉が

「ここ、世界中のかわいいお姉さんが集まってるみたい♪」

アフォだ!
ほんっとに男ってやつは、こんな時でもそんなこと考えてるのか!!


担当の先生が美人の女医さんで、
外来の診察であちこち5時間回った末にやっとたどり着いて紹介された時
それまでのブスっとした不機嫌顔は吹き飛び
ふにゃふにゃの笑顔になったっけ。

病室でも、
いろんな看護師さんがくるたび
「うひょ!またかわいいお姉さん♪」
と、小躍りしてたし。
まったくまったく。。。


2日間(手術当日を入れると3日?)ICUでお世話になり、
病室へ移動。

ちょっと息苦しさもあり
完全に管理された場所から移るのは不安そうだった。

呼吸器はとれたけど、
鼻に栄養のチューブ、
口には血を抜くドレーンが2本入っている状態。


鼻からの栄養は何日だったかな。
思ったより長かった。

鼻のチューブを抜くのは
「うへ」くらいであっけなかったが
口のドレーンを抜くのは大変だったようだ。

ちょうど私のいない時に急に「抜きますよ」と呼ばれて行ったらしく
チビタが言うには
「いきなりメスでサクッとやられて、すっっっごく痛かった」
貧血で意識がなくなったらしい。
「あとで考えると、あれは貧血じゃなくて
 あまりの痛さに失神したんじゃないかと思う」
と言っていた。

でも、それよりもっともっと痛いのは「抜糸」だったという。

3回にわけて抜糸したけど
1回目で恐れをなして、
2回目の前には、看護師さんと
「あらかじめ痛みどめを飲んで挑む」という作戦を立てていたんだけれど、
なにせ、どの処置・診察も突然だから
痛みどめを飲む暇なんかなかった。

研修医なのか、
チャライ感じの若い二人組がもじもじとやってきて
「抜糸いきましょうかー」

抜糸中も
「初めてなんです」とか
「あれ?」とか言うから恐ろしいんだよーと言っていた。


鼻のチューブを抜いてからは
テルミールだったかな?
パックの栄養ジュースを、
自分で注射器を使って歯の隙間から喉に流し込む。

あ、上下の歯はワイヤーで固定されてて
口はまだ開けられません。

このジュースがメチャクチャまずいらしい。

「まずい」と思いながらも、
1回目のコーヒー味は、4時間かかって飲み込んだ。

4時間もかかってるから、
やっと終わった・・・と思った頃には次の食事の時間。

看護師さんに
「苦手な人も多いけど、チビタクンは大丈夫かな」と聞かれて
「大丈夫です!(筆談)」と返事。

でも、次のパック、全然飲み込めない。
涙目。

「無理ならなんで“大丈夫”なんてカッコつけるの!?」
看護師さんに「無理」と告げると
「数日食事を抜いても大丈夫だから、無理しなくていいよ、
 水分は摂らなきゃいけないから
 飲めるものを飲んでおいてね」

その夜先生が来てくれて、
ワイヤーを外し、自分で付けはずしするゴム掛けにステップアップ。
翌日朝から刻み食の許可が。

刻み食と言っても、
「ごっくん期」の離乳食のようなドロドロ。
テルミールに比べれば至高の食卓だけれど、
何かわからないものを食べるのをすごく嫌うチビタには
「刻み前の写真か、せめて何なのか書いてくれ!」とご立腹。
「煮物」とか「炒め物」としか書かれてなくて
形のない状態だと、味がよくわからないんだよね。

退院前日の荒みじんくらいになった時には
「何かわかって食べると美味しい!!」でした。


予定通り7月2日に退院。
勉強の遅れを取り戻したいチビタは
そのまま大阪に戻りたい、
できれば午後から学校に行きたいくらいだったけれど
矯正の先生に見せに行かなければいけなかったし、
「チビタはいいかもしれないけど、
 送って行く私は、付添い疲れで退院でバタバタして
 その状態で午後から大阪まで運転してとんぼ返りって
 メチャしんどいんですけど?」






現在は、
口は1センチ8ミリ開く。
食事の時以外はゴムで上下の歯を固定。

硬くないものなら食べてOKで
寮の食事は刻んでもらって
1時間かけて食べてる、
お昼はコンビニでパンを買って
小さく切ってチョボチョボ食べてるそうだ。


この間診察で帰ってきてた時に
一緒に「どろ焼き」を食べに行った。

痛みはないけれど、
逆に口に一切感覚の無い状態で
どれくらい自分の口が開いているのかもわからない。

少量をそーーっと口に運んで食べるんだけど、
ときどき、うっかり普通の量を口に運んでしまい、
周りにこぼしまくり
口の周りはご飯だらけという、大笑いのことをやってくれてた。



あさって、また診察で帰ってくる。
腫れも引いてきて
ずいぶん小顔になってきた様子。



手術前は私にそっくりだったんだけど、
手術後はダンナにそっくり。
目や鼻がすごく似てる。
顎しか変わっていないはずなのに
とっても不思議です。









伊織 |BBS