コミック雑誌なんかいらない派です - 2004年08月11日(水) 先日、内田裕也さんのことを日記で書いてから、 途端に裕也さんブームが来ました。 アマゾンで頼んだDVD『コミック雑誌なんかいらない!』 CD『フラワートラベリンバンド』など関連グッズが届きまして、 現在、「内田裕也の会」をひとりで絶賛開催中です。 裕也さんと言いますと、特殊俳優としての活動や、 ニューイヤーズロックフェスティバルの印象しかないと思うんですが、 洋楽アーティストを呼んだ日本初のロックフェスティバルを開催したり、 タイガースやフラワートラベリンバンドを発掘したりで、 いわば呼び屋といいますか、プロデューサー的体質が強い方なんですよね。 何もしないのにそこにいる、という意味では、 ビーチボーイズのマイク・ラブに近いものがあるような気もします。 しかし、裕也さんは自分を「ロックンローラー」と言い切ってしまうのです。 <俺は、こう信じている。 すべてのジャンルが、ロックであり、 文学もファッションも美術も、 その他もろもろロックであるといっても過言ではない。 つまり、俺の場合、逆も真なりで、 「ロックンロールこそが、人生だ」といえる。 ステージの上にかぎらず、毎日毎日の生活、 メシを食うときもオンナを口説くときも、 すべてロックンロールだということができる。> (内田裕也著『俺はロッキンローラー』講談社より) 万物にはロックが宿っている、という思想は、 八百万の神に代表される日本古来の信仰に近いものがあります。 しかし、ここまでロックに対する明確な答えを出した人が 海外のロックアーティストにいたでしょうか? おそらくいないでしょう。 それは、かつてロック後進国であった日本に生まれ、 ロックで世間と格闘してきた裕也さんだからこそ、 導き出せた答えなのです。 すなわち、ロックとは内田裕也であり、 内田裕也こそロックなわけです。 そのロック思想は、 DVD『コミック雑誌なんかいらない!』の 特典映像インタビューでより鮮明に浮かび上がります。 突撃レポーターの映画を撮りたいと映画会社に企画を持ち込む裕也さん。 もちろん、断られまくりました。 しかしその数年後には、その映画でカンヌに行き、絶賛されることになります。 これぞロックです。 今回の映画にはピンク映画の機動性が必要と思い立った裕也さん。 当時ピンク映画『痴漢電車』で一世を風靡していた、 滝田洋二郎監督に電話をすることに。 裕也「あのー、内田裕也って者だけど」 滝田「は?」 裕也「ロックやってる内田裕也だけど」 滝田「はあ」 アポを取り、下北沢の飲み屋で落ち合った2人。 滝田監督は開口一番、「どんな企画ですか?」と切り出したからさあ大変。 裕也さんはテーブルを叩き、こう怒鳴りました。 「会ったばかりのヤツに企画なんか言えるか!」 ええ、これぞロックです。 『コミック雑誌なんかいらない!』の撮影中、 ヤクザの抗争劇を撮りたいと言い出した裕也さん。 もちろん、スタッフはセットを組んで役者で撮ろうと提案しました。 しかし、裕也さんは聞く耳をもちません。 「これが撮れないんじゃ、この映画を撮る意味がない!」 結局、組事務所をゲリラ撮影をすることになりました。 警察が出てきて大騒ぎになったそうです。 まさしく、ロックです。 撮影後、画面に映りこんでしまったヤクザのみなさんに、 ギャラを払おうとした裕也さん。 しかし、映画を見せたら「これならギャラはいらん」 とヤクザの方々は言ったそうです。 裕也さんもロックなら、ヤクザのみなさんもロック。 互いのロック魂が共鳴したわけです。 もう一度いいましょう。 万物すべてがロックであり、 この日記もこれを書いているオイラも、 読んでいるアナタもロックである。 望遠鏡で宇宙を眺めているときも、 顕微鏡でクオークを計測しているときも、 SEXの後、チンポに付着したティッシュを取るときも、 オナニーの後、放出ティッシュの臭いをかぐときも、 その他諸々のすべてがロックであるといっても過言ではない。 そしてロックとは内田裕也であり、 内田裕也とはロックであり、 ロックとは人生である。 そしてオレは漫画を読むときは単行本なので、 コミック雑誌なんかいらない派です。 ...
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