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2006年11月23日(木)

命日

今日は勤労感謝の日。
勤労感謝の日らしく、午後は仕事しておりました。
あ。逆か。
まぁ、仕事がある。仕事が出来るっていうのは感謝感謝な状況なので。
感謝しつつ仕事したってことで。

素晴らしく覚え易い 2000年11月23日勤労感謝の日に亡くなり、丸6年が経過しました。
父上の命日です。
毎年、このタイトルで日記を書かねばならんっつーことに詰まらなさを感じ。
今年は勤労感謝の日っていうタイトルにしようかと思ったけど、ヤメ。

日にちは覚えているけれど、その時みた空も覚えているけれど。
時刻が正確に思い出せないので過去日記を漁ろうとしたけど、ヤメ。

今日は、朝5時に眠り。
11時に母上の電話で起されたけど出ず。
でも、気になったので10分後に折り返し電話した。
お墓が綺麗なので、私がいった後かと思っての確認電話だと。
私では無い。我姉妹2号が先に行ってたらしい。
起きてしまったので、お昼に家を出てレンタルDVD返却しつつ墓参り。
寒いから早く帰れと父上に言われてる気がしつつ、30分ぐらいいたかな。
で、帰りにスーパーで食糧買いこんで帰宅後、仕事。
いつもと同じ。

昨日、母上が唐突に「同じ病院で亡くなっても霊安室に行かない人もいるんだって。」なんて言い出して。
どうやら、父上と同じ病院で知り合いの父親が亡くなったらしく。
けど、その人の場合はすぐに車が迎えに来て自宅に帰ったと。
そんな話に、特別な意味を見出せず。
ただ単に、時間的な問題じゃないの?と答えてみた。

「看護婦さんやお世話してくれたピンクの(制服の)人たちが、お線香上げに来てくれたじゃない」

と母上が言うのだけれど思い出せず。

「あれ?アンタいなかった?」

いない訳無いじゃないか。

どうも母上は、父上は特別扱いをされたぐらいに感じている模様。
特別扱いはしてくれてないと思う。
ただ、父上はニコニコしてたから。
病院のスタッフさん達にも嫌われてはいなかったよね。

何故に病院の人たちがお線香を上げてくれた事を覚えて無いのか。
自分でも不思議で。
母上曰く、父上に似て物覚えが凄く良いハズなのに。
全てを覚えていられるような冷静さは無かったのかなぁとか。

数時間後、なんとなく思い出したような気がした。
したけど、なんだか夢の中の出来事みたいな映像が浮かんでる状態で。
それって、後から母上の言葉で作り出しているだけのような気がしなくもない。

何事もピンと来るのが少し遅れがちなもんで。
感情が後から沸いてくる性質なもんで。
父上が亡くなった後の全てが夢心地。
夢心地って表現は似つかわしく無い気がしなくもないけど。
ま、そんな雰囲気。
だから、いまだに父上がいないって事にもピンとこない。
っていうか、ピンと来ないまんまでいた方が良いのでマンマにしてる。

逆に、父上が亡くなるまでの時間は物凄く現実で物凄く神経が研ぎ澄まされてた。
周りの気配も物音も。
自分が何を感じたかも考えたかも。
全きっちり覚えてる。

勝手にこじつけて考えてみる。
私は、昔はこれでも夢子ちゃんな人間だった。
父上似のセンチメンタルさも持ち合わせていたし。
人前では出さなくても浪花節なとこも多々あった。

けど、今は。
どこまでも、あくまでも現実的。
これって、父上が亡くなった時からだ。って気がする。
色んな意味で目が覚めた。
そんなんかよ。って思った事が沢山あって。
ある意味ショック療法。

って。

単に歳食ったってだけかもしんないけどさ。


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おばちゃん、ボケちゃったのかしら。って本気で心配したわ。
やっぱ、いつまでも一人でフラフラしてるのが原因なんだろうなぁ。