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2003年07月29日(火)

誰に話す?

ふと、時々思うことがあって、でも堂々と書けない気がして。
だから、今日の日記をアップして後ろの日付に書いてみる。

自分に苦悩する事があった場合、それを話す相手を皆選ぶもんだと思う。
普通は選ばないで側にいる人に気兼ねなく話すのかもしれないけど、少なくとも私は選ぶ。

例えば職場の人間関係を話す時、第一にはやっぱり同じ職場の子が一番話し易い。
登場人物を全て知っている子の方が、話がスムーズだから。
同じ職場だと話しにくい時には、学生時代のやっぱりOLしてる友達とかになる。
でも、その友達が。
同じように人間関係で悩んでいると知っていたら。
きっと私はその子には、自分からは言わないだろうと思う。
その子が解決するのを待ってから、話すことにするだろう。
相手が悩みを話してきて、その流れで少し言えるだろうけど。
悩みを上塗りするような事は出来ないと遠慮する。

私がそういう性格だというだけで、そうしないのが悪いとは思わない。
ただ、時々。
身内のHPに訪れる人を見て、少し無神経さを感じているのが本音だ。
それは、私が身近な人間だからそういう心境になるだけのことなのかもしれない。

母上は、父が亡くなる前もその後も。ずっとずっと私に愚痴を言い続け。
それでも、母上の気持ちの半分も言えてないのだろうと想像はしているけれど。
でも、当初、私はそれを聞きながら「どうして私に言うかね?」という疑問を持っていた。
母上の旦那は、私の父親だ。
苦しみが違うと私は思わない。
その人間に、さらに自分の苦しみを負ぶせてどうするよ?と思っていた。

でも、実際。
私はだからと言って、肉親を亡くした事が無い人には、理解されないと分かっているので、決して話す事は出来なかった。
理解できない重い話を聞くのは、誰もが苦痛だと思うから触れもしなかった。
かといって、経験者には逆にすぐには亡くなったことすら報告しなかった。
その人が、ショックから立ち直りきってる年月だと思わなかったから、ぶり返させるのが嫌だったから。
そうしてたら、結局のところ。言える相手が居ないことに気が付いた。
ということは。
母上も、言える相手が居ないのかもしれないし。仕方無いだろうと思うようになった。

分かってくれるのは、確かに経験者だけなんだろうと思う。
それも、近い存在じゃない経験者なら話しやすいのだろう。
だから、あのHPにも、それを求めて人が来るんだろうと思う。

だけど、忘れているはずも無く。平気になれているはずもなく。
その上に人のしんどさを伝えたら、ぶり返させたりはしないのだろうか?

先日、ネットの知人のやはり御父様が亡くなったと聞いた。
彼女も女ばかりの末っ子で、少し似ていて。
亡くなる少し前にメールを頂いていただけに、返事をしなければと思った。
ついつい、「辛さは分かります」みたいな事を手が勝手に打ちそうになった。
今の私の状況を、つい報告しそうになった。
どの言葉を選んでも、何故か自分の事を報告しているように見えてしまう。
数行書くのに、物凄い時間がかかった。

多分。
近い人間には遠慮してというか、考えすぎて言えない性格だから余計に。
少し遠い存在の彼女に対して、「この人になら分かってもらえる。話せる」という気持ちが私の中にもあるのだろうと思う。

そう気付いた時に、そのHPに来る人が書いてしまう理由も分かる気がした。
だから、無神経とまでは思わなくなった。
本人も、そうは捉えて無いということは、聞いているし。
でも。
それでもやっぱり。
同じ苦悩をした人に、月日が癒えてないこの状況で。
それを求めるのは、なんだか残酷に見えて仕方が無い。

だけど。
一人で苦悩を抱えるよりは、話す人の方が健康的だとも知ってるし。
話さない事の方が、良くないと言う事も知っているし。

こんな事をいちいち考えるのは、私が神経質すぎるのかしらね。。。