浪奴社員の呟く
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| 2005年07月04日(月) |
知らず知らずのうちに |
子供たちはワシの言葉を受け継いでいて、それを知らず知らずのうちに自らの意思でこの先に続く道程を決めていくんやな、て確認させられた。ワシの言葉が正しい、と思ったりはせん。それでも、全てを決定していくんがお前らや、が伝わった上での選択やと信じる。
ワシが籠めたものの形而が果たされるは、ワシの信じたものの礎に報いる一片の慰みではなく、来らの者達への希望であって欲しい。そして、振り返るべき刹那に、この思いを語り継いで欲しい。それこそが、ワシの望んだ一唯の託みであって、それ以外は醜駄の血肉の糧とも為り得ん。
忘れられん、忘れて生きることは、この存在を否定してまでの暮らしでしかない、逃げられん、逃げて生きることは、この精神を瓦解してまでの暮らしに他ならん。己の咎め切れん甘垢に縋るなど、周知の懺悔を再び曝すに値せず、其故の涸泪を嘆くのならば、此昔葬り去った未来を嘱望し続ければよかっただけで、ワシの中に沈殿する汚泥を浚渫することに全てを注いでみればよかっただけに過ぎない。
ワシが臆病なんは、後悔したくないからや。失敗を懼れることと、失敗から逃れることとは違う。無様な自分を見たくないんは、自分が好きやからや。身を構えることと、背を向けることとは違う。ワシは天才には程遠い。出来ることは、己の力と己の意思を繋ぎ合わせ、浮かび上がる境界を押し上げていくことだけや。
やから、若し過ちならば、と思えばこそ躊躇いさえも重くなる。臨機の判断も目覚める応変も、それは事前の黙考に支えられての結実に過ぎん。つまり、ワシの選ぶは『乗り越える力を持つのなら全てを語り、押し上げる力を持たぬのならそっとしておくのみ』流れるままに、声を聞かせてくれ。
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