浪奴社員の呟く
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2004年05月28日(金) 思い出したように

呟いたりしているんで、急に活字に枯渇してしまいました。ェ〜昨日は夜中の3時から読み始めて、結局朝8時過ぎに寝ました。なんか、毎年この時期になると活字枯渇シンドロームに陥ってる気がしますな。

やっぱ、迷ったときには宮本輝でした。一時期、経済系の作家を読みふけったりして、「ん〜宮本はどっか女っぽいんよな〜」なんて思ったんやけど、ィャ、やっぱエェわ。昨日読んだのは、『月光の東』やねんけど、『睡蓮〜』より前の作品やったのに気付かんかったんは、ワシの宮本氏に対する感覚によるモンやろーな。。。

多分、中2の頃やと思うんやけどな、氏の作品のどれを読んだんか、覚えてないんよな。やけど、その直前まで浸ってたんが井上靖やってん。で、昨日の『月光の〜』のあとがきに「あすなろ物語に強い印象を持った宮本氏は…」てなくだりがあってな。ぁ〜なんとなく共感部分があったんやな、て思いなおした。読んだり離れたりしたんやけど、結局落ち着かんかった遠藤とか三島とは違って、今になっても読み続けてる理由は、その根底に僅か共鳴したモンがあったんかな、とか思ったりな。

文化に対する想い、内秘する女の存在、肥沃な物質の精神への崩落、薄幸の彼女への悔念、生と死への対峙…。否定言語に頼り、その悪癖を知りながらも尚、改善の余地すら見えないワシが、不思議なくらいまでに否定せん文章やから、もしかしたら氏も、既定言語を否定し、否定言語から脱却することで、静謐言語に辿り着いた人なんかもしれんな、て思った。

ワシもそないなれるんやろか。もう否定言語の限界を見据えて一年近いのに、その安住に廃化されてるんやろか、迷い込む振りしながら、そっとワシについてくる骸骨と話し込んでるんやで。お笑いや。自分が許せんから、そないして自虐と自嘲の螺を巻いてるわけでも、ないんやで。

そやで、外的刺激が内的啓発を促すなんて、当たり前やで。やけど、100エン拾った子供みたいに、両極に分断されるような錯覚を覚えるんは、なんでや?既定された言語さえ、その本来持ち得た美しさを奪われて、今は成すがままに道化を演じ続けることの、本当の目的は一体何処にあるんや?そんな中で、今もこうやって否定言語を内心自慢気に操る、ワシは一体、何時になったら静謐と安穏の領域の存在を確信しよるんや?


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