窓のそと(Diary by 久野那美)

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2005年07月03日(日) とんでもないものを見てきた。

        *****

だって、楽団なんだもの。
吹き込んだりはじいたりたたいたり
物悲しげな音色が物語の幕を開く。

それで、歌ってるんだもの。
はぐれた渡り鳥の鳴き声みたいに。
ただ一心に遠くを乞う、しんと強くて悲しい声。

ぱたぱたどんどんぴーぷーどかんっ、て感じの小汚い6人と
むぐうっとした1体の人形。

6人は片時も止まることなく動き続け、しゃべり続け、
歌い続け、踊りつづけ、人形は、為されるがままに居続ける。

客席と舞台の間に梁が1本。
1本のてっぺんは天井の頂点。

ミッフィー一家がサーカスを見に行くような
シンプルな三角テント。
50人でいっぱいになる客席。

あるのは天井と床。
劇場というのは、天井と床のことだったのだ。
世界は空と地面でできてるから。

壁がないから、向こうの芝生を犬が歩いてる。
自転車が通る。
傘を差した老夫婦が散歩中。

大きな音に立ち止まって、みんなこっち見てる。
しかも寄ってくる!
こっち見てるあのひとたちを見てる客席。

誰が風景?
舞台の上は舞台の中?

外側はどこ?
物語はどこ?

なんもわからない。
ただ、ひたすら、目の前に、
ひとと、人形と、風景。

人の声。音楽。床。天井。芝生。言葉。言葉。
ぱたぱたどんどんぴーぷーどかんっ、むぐうっ。
ばたんっ。どたんっ。しゃららららら〜ん。

軽やかにみゅーじっく。リズミカルに。淡々と。
周りはますます、騒々しくて馬鹿馬鹿しくて。

それにしても・・。

幕があいたはずの物語はどこ?
中にいるのは誰?

悲しいのは誰?
歌ってるのは誰?
幸せなのは誰?
目を開けてるのは誰?

なんもわからない。

誰がどこで何をしたの?
私は今、何を見てるの?

とにかくわからない。

息をもつかせぬ展開・・というわけでもなく。
たいくつなのか?といわれれば、ときにはそんな気もするし。
長いので、落ち着きのない私にはじっと見てるのがちょっと辛い。
ほお。とか。へえ。とか、「そうだったのかあ。」とか、
「やられた〜」とか、そういうのも、いっさい無し。
何も象徴してないし、何も反証してない。と思う。

きっと・・・たいしたことは起こってないのだと思う。
ものすごく語弊のある表現だけど、なんというか、もっと、
想像を絶するほどなんでもないことがおこっている。
ただ、それだけが、純粋におこっている。

なのに。
どこまで続くのかわからない「舞台」のこちら側に、
つまり、「ここ」に、それを見ている「私が居る」。
そういうことが、こんなにも、痛々しいほど、切々と
身体に満ちてくるのはなんで?

私は芝居を見ているのに。
しかも、その芝居はこんなでこんなでこんなんなのに。

こういうものに対峙できるのは、理性とか観念とかじゃなくて、
人間の、もっと動物的な機能なのかも。
今、理性も観念も、もしかしたら感性すらも無用の長物。
使えるのは重力とか体温とかホルモンとか血圧とか、延髄とか脊椎とか・・

この状況を分類するなら、文学とか映画とかよりも、消化とか排泄とか死とか出産とかそういうのなんだろうか?
純粋に生理的に創造的な奇妙な感覚。

しかもね。
私はこの状況を、知ってるような気がしてしょうがない。
そして、ずっとそう思いたかったような気がしてならない。

それだけなんだけど。
それだけ、で、他には何もわからないんだけど。

う〜ん。どうしたらいいんだろう。
私は何を言ってるのか・・・。

    ************


このままいくら書き続けても日本語にならない。
日本語は大脳で書くからなあ。大脳非力。
たぶん、読んでもわからない。
読んでる人ごめんなさい。

さいたまの旅劇団「どくんご」さんの公演が扇町公演でありました。
千秋楽の公演を見て、さっき帰ってきました。
とりあえず、何か書いておこうと思って。
そしたらこんなことになった。
耳の奥でクラリネット鳴ってる。
まだ、しんぞうどんどんしてる。
眠れない。

なぜだか何かを書いておきたいんだけど、
今はこれが限界・・・・・・・・・・・・・・。

どくんごさんの旅はまだまだ続きます。
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