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窓のそと(Diary by 久野那美)
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エドワード・ホッパーという画家がいる。 空っぽの風景ばっかり描いたひと。 このひとの絵にはひとがいない。 たまに居ても、それは<どこかの誰か>であって、「あなた」や「わたし」や「あのひと」じゃない。ホッパーが描くとなんでも「風景」になる。
ホッパーがエッセイか何かに書いていた。 「わたしはひとのいない建物を書くのが好きで、挿し絵(広告?)によく建物の絵を描いた。ディレクターは大変いい絵だと誉めてくれたあと、決まって<この窓から外を見ているひと>を描きたしてほしいとつけ加えるのだった。とてもがっかりした。私が描きたいのは建物であって建物から外を見ているひとではないのだ。」
ホッパーの気持ちはよくわかる。 人の居ない絵が私も好き。 絵の中にひとが居るとき、その風景はそのひとのものだ。 わたしは絵の中のそのひとを通してしか、その場所を見、その場所に立つことはできない。
空っぽの風景は私のもの。 視点は絵の外にある。 絵のこっち側にある。 わたしはたしかに「ここ」に居て、「ここ」から、この風景を見ている。 ここにいるわたしだけが見ている風景。
そういうものが欲しくて絵を見るのに。 ホッパーも。 そういうものが欲しくて絵を描いたんだろうに。
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